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「赤平は人がいい」 赤平に暮らす人々の人間性がいのだそうだ。そして、「稼ぐのはよそで稼いでもいい。でも、本社はここを離れない」。という。「炭鉱には全国から優秀な人が沢山集まった。炭鉱で栄えた町には、排他性が無い」という。この赤平の受け入れの良さが、西出興業が、赤平に居続ける理由の一つなのだ。 他人のせいにしないで生き残る街 また、赤平は炭鉱閉山後の対応が、他の産炭地とはまた違う道を独自にたどる。リゾート法の活用、開発に頼るのではなく、首長と地元企業が協力して、企業誘致に努めた歴史がある。国からの助成を活用し安価な住宅を建て直したり、固定資産税の減免や人件費の負担などで、企業にとってのメリットを作り、コツコツと工場を誘致して行った。その結果、中空知での中心的な存在となる。10,000人程度まで人口を減らしても、2割ほど昼間人口を増やす集散が起こっている。 人材を大切にする会社 「投資は人にします」と勝利社長はいう。幹部を信頼して事業を任せ、まるで部課長たちはその分野の社長のように真剣に経営に取り組む。一人一人への指導は、その人の5年後をイメージして育てるという。その体質は如実に出たのは福祉事業だ。赤平になかった特別養護老人ホームを作るために、法律を学び、その分野に長けた人材を採用し、責任者として配置する。企業ではできない福祉事業に出資して、社会福祉法人を作り、担当した人材は赤平に施設を誕生させた。一方でオムロンが残した工場の雇用の継続を図り、西出興行は自らのボウリング場を使い、コイルを巻く工場を運営し、オムロンに納品する形をとった。ここで、社会福祉法人と担当していた幹部は工場の経営を見事にやってのけた。さらに、オムロンの完全な撤退の後は、追いついてきた福祉関連の法理に基づいて、グループホームを札幌で展開する中心にこの幹部が座る。人材を育成し、大切にしていなければ、この分野での淡海も、また無かったという。
事業は人でしょ
ボウリング場の直営は失敗したが、建築の見本となり、長沼町始め、多くの自治体との建築でのお付き合いにつながった。 会社経営にリスクはつきもの 経営にリスクはつきものだ。ただし博打とは違うので、挑戦をするときには最悪のシナリオでも、会社経営の根幹に影響のない程度の規模に抑えて思い切るのだという。西出の多角経営で唯一失敗したと言えるのは娯楽分野。ボウリング場の経営だった。赤平で作り「まあよせばいいのに長沼で直営して3年で閉鎖しました」と笑う。数億の規模の投資で、決して少ない額ではない。しかし、長沼に進出した農機具メーカーに倉庫として転売するなど、回収にもその力を注ぐいだ。しかし、西出はここで終わらない。 事業は失敗したが、建物は素晴らしかった 長沼に作ったボウリング場は、レーンとコンコースを人の動線、くつろぎに合わせ、空間を段差などで区切り、高級なホテルはコンサートホールのホワイエを目指す作りだった。これが、多くの事業者の目に止まり、全道から同じ仕様で建築の依頼が舞い込む。一方で、長沼町との信頼関係ができあがり、大切な仕事に札を投じる機会が増えた。結果として、学校などの公共施設を扱う会社として、建築部門が大きく成長する。さらに、高圧ガスの販売の拠点ができあがり、ビジネスが新たに展開する基盤が、この長沼町との未来を切り開くことになった。赤平を基盤にしつつも、札幌をはじめ全道に打ってでる勇気を長沼で養うことになった。
転んでもタダでは起きない