安政年間( 1853~69)に松前藩が掘削したと伝えられる農業用水の跡です。

泥川から館小学校、中学校の前をとおり、字新栄方面へ伸びていました。松前藩が館地区で開発を進めていた水田への水の供給が目的だったと考えられます。

(文化遺産を活かした「素敵な過疎のまちづくり」推進協議会,2015『厚沢部町文化遺産マップ』より)