館城から厚沢部川を1.5kmほどさかのぼったところに位置します。明治元年(1868)築城された館城に、兵糧米や物資を陸揚げした場所と伝えられています。館城の建築資材のうち、重量物の運搬には川船が使われたことを示す記録があります。「 米揚げ岱」から荷揚げしたと考えると、館城へは多少遠回りになりますが、この地点が荷揚げにふさわしい理由があったのかも知れません。

古老の言い伝えでは、館城の礎石や庭石も川舟を使って運ばれ、米揚げ岱から荷揚げされたといわれています。これらの石は米揚げ岱からの牛4頭を使って運搬されたと伝えられています。

(文化遺産を活かした「素敵な過疎のまちづくり」推進協議会,2015『厚沢部町文化遺産マップ』より)