緑町の総合グラウンド前、俄虫橋のたもとにあります。

河川改修工事前の厚沢部川や安野呂川は、増水時には氾濫し、流域に大きな被害を与えてきました。そのため、大規模な河川改修工事が進められました。

改修工事を進める大きな力となったのが、昭和37年に創設された「働きつつ学ぶ」一年修業全宿舎制の北海道地方開発青年隊でした。
その宿舎が、本町と日高支庁管内静内町に設けられました。本町には昭和37年(1962)第一期隊員24名を始め、昭和42年(1967)第六期隊員29名まで6年間に延べ168名の隊員が工事に従事しました。厚沢部川の河川改修工事を、技術者として巣立つためのきびしい自己練成の場として勤めあげました。
その尊い姿を讃え「羽ばたく若鷹」を表わした石碑が建立されました。


北海道地方開発青年隊は、建設省(当時)の「産業開発青年隊事業」の一環として発足しました。産業開発青年隊は昭和28年に制度が整備され、北海道では昭和36年に設置されました。厚沢部町のほか石狩川改修工事などにも青年隊が従事し、厚沢部町に設置されたものと同じデザインの石碑が、石狩川流域の砂川市空知太松浦や妹背牛町下メムなどに設置されています(札幌開発建設部 産業開発青年隊)。

 

(2016.4.12 石井淳平