千葉市最古の寺院として、奈良時代の和銅二年(709)に行基によって建立された。
平安末期の永暦元年(1160)に雷火のため全焼し現境内に堂舎を建立したという説と、大治元年(1126)に、千葉常重が大椎城から猪鼻城に移った時に建立したという説とがある。[1]
真言宗で、十一面観世音と薬師如来が本尊。千葉氏の氏寺でもあった。境内にあるイチョウは、目通り8mの大木で、幹の中ほどから多数の乳柱が下がっていて、昭和10年(1935)に県の天然記念物に指定された。また、千葉寺境内は、市の指定史跡でもある。
境内には、また多くの碑があり、県道沿いの山門を入って左折した場所には、高橋信夫、島田武雄という民間飛行操縦士の胸像のない胸像碑(戦争で供出された)ば並ぶ。この2人の民間飛行士は、大正12年(1922)4月28日、練習教授中に不測の原因で市内の寒川海岸に墜落して亡くなったもので、裏面に当時の飛行練習所長で、わが国民間航空生みの親である白戸栄之助の分が刻んである。
この寺の境内で「千葉笑い」という奇習が幕末のころまでつづいたと伝えられているが、これは毎年大みそかの夜、近くの村人たちが千葉寺にお参りしてから覆面して境内に集まり、地頭や地主、商人たちの批判をしたり皮肉ったりしたのち全員で大笑いして散会する風習で、それに対して地頭たちは反論することができなかったということである。[2]
この千葉笑い、平成22年(2010)に地元の方の尽力で復活し、大みそかの午後、形を変えて行われています。
また、毎月第三日曜日には、境内で骨董市も開催されています。
参考資料:
[1]「千葉市歴史散歩」(千葉市教育委員会)
[2]「京葉散歩(4)・千葉市」42・43頁。(昭和50年。フジサンケイリビング総武・常磐編集部編。第一書林資料出版室発行)