土気町については、以下のように色々な説がある

地形から土気町 「峠の庄」と呼ばれたことからトウがトゲになった説。
険しい土地から登険がトケになった説
室町時代に土気太郎が地頭に任じられてこの地を治めていて地名になった説
上総国東部にあった県から東県がトケになった説
為政者が鐘を鳴らして時を知らせたのでトケになった説
かつて鴇が多かったことからトキがトケになった説
 

江戸時代には、始め幕府領、寛永19年(1642)に佐倉藩領、万治3年(1660)に幕府領、寛文元年(1661)佐倉藩領、元禄10年から幕末まで旗本松下氏の知行地となった。
明治22年に土気町、大椎村、大木戸村、小山村、越智村、高津戸村、上大和田村、下大和田村、小食土村、板倉村の一部が合併して山辺郡土気本郷町が発足した。
昭和14年に土気本郷町が土気町に改称した
昭和44年に千葉市に編入し、合併前の区分に戻り各村は、町に改称した。
平成4年千葉市の政令市になり緑区になった

出典:続わが街の旧跡を訪ねて ふるさと千葉の昔と今(2014.10)和泉書房P127