大日寺(稲毛区轟町2-1-27)は、真言宗豊山派の名刹で、千葉頼胤が源氏三代の霊を供養するために、建長6年(1254)松戸の馬橋に創建したものを、弘安7年(1284)頼胤の子宗胤によって、千葉氏の菩提寺として千葉に移されたと伝えられており、昭和20年(1945)の空襲で全焼し、千葉神社南側(現在の通町公園辺り)から戦後この地に移転してきたそうです。[1](一説には、市内最古の千葉寺に次ぐ天平宝字元年(757)の創建で、大治元年(1126)に千葉常重が猪鼻に移ると、この寺が千葉氏の菩提寺となったとも言われています。[2][3])
本堂には千葉氏の九曜紋の棟瓦が乗っています。

山門から本堂手前を左折、すぐに右手に曲がった境内には、千葉常兼(常重の父)から胤直、胤将に至る千葉氏16代の墓碑、供養塔と伝えられる五輪塔が整然と並んでいます。これらは、鎌倉時代から室町時代にかけての代表的な五輪塔として、美術的にも価値のある石像物だそうです。ちなみに、五輪塔は、上から空輪、風輪、火輪(屋根状のもの)、水輪、地輪と呼ぶそうです。[1][3]

なお、「大日寺と千葉氏累代の墓碑」は、千葉市の指定文化財となっています。[1]

参考文献:

[1] 千葉市指定文化財案内板(平成3年3月。千葉市教育委員会)
[2] 「京葉散歩4 千葉市編」79頁。(昭和50年11月。フジサンケイリビング総武・常磐編集部編、第一書林資料出版室発行)
[3] 「社寺より見たちばの歴史」36ページ。(昭和59年3月。千葉市史編纂委員会編、千葉市教育委員会発行)

大日寺(千葉市)<ウィキペディア>