精進落

承平三年正月三日上州花園村の一戦で良文等将門の軍を破つた時地民は多くの鯉魚を進め、軍中の武者大白を浮べ、鯉を頒ちて食つた。此の戦ひに良文が勝つた為め、後日千葉氏の起る因ともなつたので、爾来千葉、寒川、登戸の地民は正月三日の晝飯迄は一切肉類魚類を用いず、若し食へば妙見社の祟があるとし、三日の夕に始めて鯉を食つて精進落とした。併し後には妙見社の子氏は何處でも此の吉例に随ふ事になつたと。妙見社記録等に載つてゐるが今では更に行ふ者は無い。[1]

 

参考文献:

 

[1]増島信吉『千葉町案内』千葉町案内発行所、明44.4(著作権切れ)