伊達市に移住したのは26年前 について知っていることをぜひ教えてください

 

伊達市に居住したのは26年前の1990年11月から。居住を決めたのはその半年前の同年5月。「高子ハイタウン」の分譲住宅1区画を購入し、11月に一家5人(夫婦+男子2人+義母)で引越し。当時の「伊達郡保原町」の住人になった。

高子に居住を決めた直接の理由は、「①桃畑があまりに美しかったから(配偶者)」「②神楽坂への通勤に便利な駅前だったから(小生)」③「小学校が近かったから(子どもたち)④「予算内で購入できたから(夫婦+義母)」。

この背景には「長男の翌年春、次男の翌々年春の小学校入学を控え、何とか、山と川と緑のある地域で育てたい」と考え、当時叔父から家を借りて暮らしていた「東京都練馬区」や仕事場の「同新宿区神楽坂」とは「異なるエリアに自宅を探していた」ことがある。そして

高子ハイタウンなら、朝7時に出れば10時前には神楽坂に着いて仕事ができるから、自分さえ多少我慢すれば、他の条件をクリアして十分おつりも来ると考えた(実際しばらく=3年ほどは、金帰月来で東京高子間を往復した)。

住み始めて26年になるが、ここまで長くこの地に住むとは、正直、当時は思わなかった。

(ちなみに小生の生まれは中国・大連。父親の実家仙台に引き揚げた後、山形・京都・大阪・千葉・東京で暮らしたが、伊達市以外で一番長く住んだのは京・大阪の関西で10年、配偶者は東京での20年となる。だから結果論だが、ここ保原町がふたりにとって人生で最も長く暮らす地になっている)。

(2016.12.22 赤間謙一氏作成インタビュー用メモより)