出典:伊達市役所蔵

「感動のおすそ分け」が「桃の里フレッシュ便」に

 

1990年春満開の桃の花に魅了され、その冬から保原に移り住んだ私たちにとり、見るもの、聞く話、体験すること、どれもが新鮮でした。子どもたちは親の心配をよそに早速地元に溶け込み、小学校まで信号一つない通学路を元気に通い始めました。私たちは、目の前に広がるくだもの畑や野菜畑、水田といったこの地の景色そのものに文字通り「感動した!」の連続でした。が、さらに、季節が巡るたびに実り、収穫され、店先にならび、時に「食ってみらんしょ」と無造作に届くくだものの、多彩さとおいしさには圧倒され続けました。

「今まで東京で食べていたくだものはいったい何だったんだ!?」

こうして体験したいくつもの感動を、東京や大阪の知人友人だけでなく、仕事先にも伝えたくて、頼まれもしないのに季節が変わるごとにくだものを送り「感動のおすそ分け」を続けたのです。もともと編集屋ですから記事に写真や図版をつけて構成するのはお手のもの。このおすそ分けには、12ページにもなる冊子を付けて送ったこともあったほどです。そうこうしているうち、思いがけない反響が届くようになりました。「お金を出すからあらためて送って欲しい」。それも東京、京都、大阪、熊本…各地から届いたのです。こうした声に押させる形で始めたのが「桃の里フラッシュ便」。会員を募ってスタートさせました。保原に来て3年目。1993年のことでした。

会の名前は「ふくしま・ふるさと・もの・語りの会」。「もの・語り」に思いを込めました。「フレッシュ便」に添える「栞」とは別に季刊の会報誌も発行「桃の里通信」と名付けました。

出典:桃の里通信

 

(赤間真理子氏「都市と農村の交流がなぜ必要かを考える」より)

 

 

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