高子の桃畑
高子団地
高子二十境6Kmウォーキングコース
新幹線使って2時間ちょっとの東京
高子二十境8Kmウォーキングコース
ハイタウン
個人も民間も行政も緒団体も→アピール上手になってほしい。正直、下手です。 伊達市に住んで良かったに書いたようなことが、上手にアピールされているのを見たことがない。「もっとアピール上手になって欲しい」。 例えば「伊達八百年ものがたり」でやっと「before 17th政宗」にスポットが当てられた。「ダテニクル」もその流れだろう。史実は何も変わっていないのにスポットの当て方ひとつで人々の受け止めが大きく変わることの証左だ。「磨けば光る地域の玉があちこちにある」のに、個人も民間も行政も緒団体も、誰もその「玉に気付かず、気付いていても上手な磨き方が判らず、アピールしかねている」。実に、もったいない。 個人も民間も行政も緒団体も→女性が活躍、リードする状況になってほしい。 自分の配偶者が会社の代表(1975年株式会社草原社の創業以来)だから言うのではない。だが「伊達市が今よりさらに良くなるには」間違いなく「女性が輝くまち、活躍できるまち」に「名実ともにならないと展望が拓けない」と考えている。 「保原町商工会女性部」の活躍「JC伊達」や「一部NPO法人」における女性の活躍は聞こえては来るが、まだまだほんの一部に過ぎない。「行政機関」はもとより「議会」「農業を含めた地域産業」「教育機関」「町内会をはじめとした地域団体」等、伊達市内の主たる機関に占める「女性リーダー占有率」を見れば「これが男女共同参画社会なの」と驚くばかりの低さだ。率先して市役所から「女性が輝く職場」になってほしい。 名実ともに「女性が輝くまち、活躍できるまち」が実現すれば、その実現過程も含め、必然的に「子育てしやすく、安心して年齢がとれるまち」につながる筈。そのための具体的対応を、個人も民間も行政も諸団体も、まだ何もチャレンジしていないのだから、劇的変化もふくめた「のりしろ」はきわめて大きいと考えられる。今がチャンスだとも言える。 <課題先進田園都市「伊達」>なのだから→「3.11を乗り越える戦略・戦術・工程表」を。 (2016.12.22 赤間謙一氏作成インタビュー用メモより)
こんな風になったら良いのに
伊達市に移住したのは26年前 について知っていることをぜひ教えてください 伊達市に居住したのは26年前の1990年11月から。居住を決めたのはその半年前の同年5月。「高子ハイタウン」の分譲住宅1区画を購入し、11月に一家5人(夫婦+男子2人+義母)で引越し。当時の「伊達郡保原町」の住人になった。 高子に居住を決めた直接の理由は、「①桃畑があまりに美しかったから(配偶者)」「②神楽坂への通勤に便利な駅前だったから(小生)」③「小学校が近かったから(子どもたち)④「予算内で購入できたから(夫婦+義母)」。 この背景には「長男の翌年春、次男の翌々年春の小学校入学を控え、何とか、山と川と緑のある地域で育てたい」と考え、当時叔父から家を借りて暮らしていた「東京都練馬区」や仕事場の「同新宿区神楽坂」とは「異なるエリアに自宅を探していた」ことがある。そして 高子ハイタウンなら、朝7時に出れば10時前には神楽坂に着いて仕事ができるから、自分さえ多少我慢すれば、他の条件をクリアして十分おつりも来ると考えた(実際しばらく=3年ほどは、金帰月来で東京高子間を往復した)。 住み始めて26年になるが、ここまで長くこの地に住むとは、正直、当時は思わなかった。 (ちなみに小生の生まれは中国・大連。父親の実家仙台に引き揚げた後、山形・京都・大阪・千葉・東京で暮らしたが、伊達市以外で一番長く住んだのは京・大阪の関西で10年、配偶者は東京での20年となる。だから結果論だが、ここ保原町がふたりにとって人生で最も長く暮らす地になっている)。 (2016.12.22 赤間謙一氏作成インタビュー用メモより)
伊達市に移住したのは26年前
伊達市に住んで良かった について知っていることをぜひ教えてください 伊達市の良いところ 自然環境、食環境、居住環境、農環境、人間環境、交通環境、ビジネス環境、歴史環境。枚挙に暇がないほど、良いところはたくさんある(ちなみに車で、福島駅まで30分強、1時間あれば高速利用で仙台まで行ける今の交通環境は良好と言えます。これを不便と言っていたのでは、通勤圏が電車で1時間半にもなる首都圏には住めません)。 住んで良かったと感じる時 春…桜、桃、サクランボ、りんご、と次々に花が咲くのを身近で見られる時。 夏から秋、その美味なる果実が、安価に食せる時。季節を問わず、雨上がりに半田山、宮城蔵王を背景に虹がかかるのを見た時。手前に田んぼ、その向こうに野菜畑、その後ろに桃畑や葡萄棚が望め、しかも1つのアングル内に納まる光景に出会えた時。 阿武隈急行が土手を走り、橋脚を渡る時。たまさか朝の阿武急・福島行きに乗ったらラッシュで、学生・勤め人で満員の時。朝7時に車で出れば午前9時の仙台市内百貨店での催事準備に間に合う時。 毎月、保険センターでの「ブックスタート・サポート」で「4か月児とその家族」に出会える時。同じく月に1回「朝読」で「大田小の児童への絵本の読み聞かせ」で小学校に出かけ児童たちに出会える時。・・・かように、この地域とのかかわりの中で暮らしていることが折に触れ実感でき、たまさか自分のしたことが、ほんの僅かでも、人さまに喜ばれた時が、ここに住んで良かった、と思える時。 (2016.12.22 赤間謙一氏作成インタビュー用メモより)
伊達市に住んで良かった
友達が来たらここに案内 について知っていることをぜひ教えてください 1.まずは、我が居住地周辺→阿武急「高子駅」→「高子ハイタウン」を一回りして「熊坂家墓所」→「八幡神社」→「丹路盤」→「不きおう」→「高子ひ」。時間があれば「走馬嶺」から「愚公谷」にも足を伸ばす。さすれば「高子二十境」の一部を見てもらいながら「伊達八百年」の歴史「くだものの里」の一端を確認してもらえるし、「電車を降りてすぐに、歴史深き農地と現代の住宅地、さらには医療機関が一帯化している、文字通りの、田園健康地帯であることを体感してもらえる」。 2.次いで我が、日常生活環境圏へ→「んめーべ」→「駅中プラザ」→「こらんしょ市場」→「観光案内所」→「あみだす」→「富士通アイソテック見学」。さすれば「基幹産業の農業」「ニット&電子工業に代表される地場産業」を見ながら「車での街歩き」により「地場小売業や金融機関の点在」まで確認でき「伊達市のビジネス状況」を体験してもらえる。 3.「霊山」→「紅彩館」→「霊山こどもの村」→「霊山神社」→「りょうぜん里山がっこう」→「よってみ」→「りょうぜん漬け」→「つきだて花工房」。・さすれば山岳仏教の東北拠点として開山し鎌倉末期から南北朝にかけ隆盛を誇った「北畠」の歴史を踏まえつつ、これを現代に生かしながら新しい地域文化・地域産品・地域アート・地域観光に、官民の「協働作業」で取り組まれている「伊達市ならではの状況」を体験してもらえる。 (2016.12.22 赤間謙一氏作成インタビュー用メモより)
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