かつての日本三大広小路が藤沢に?!

 

 

時宗総本山である遊行寺の門前にこんな看板が設置されている。

 

 

広小路(ひろこうじ)とは、江戸時代以降に火災の広がりを食い止めるために設置が推進された火除地のことだ。最も有名な広小路としては「上野広小路」が思い浮かぶが、この上野広小路、そして名古屋の広小路と並ぶ三大広小路の一つと言われた広小路が、時宗総本山遊行寺の前に置かれていたという。これが「藤沢広小路」

 

江戸(東京)方面から遊行寺の坂を下ってくる道(旧東海道)は、今は藤沢橋を渡って直進できるが、昔はこの橋は架けられておらず、藤沢橋の手前で右折→左折→右折して、現在の国道467号(旧藤沢宿エリア)に出て西へと向かっていた。この遊行寺門前にある「右折→左折→右折」の部分が「藤沢広小路」。「右折→左折→右折」、つまりクランクの形状をした広小路は当時珍しく、看板には三曲がりとして有名だったと書いてある。

 

 

今でこそ、メインの道ではないが、三大広小路と呼ばれる広小路が藤沢にあったということは、遊行寺や白旗神社を抱えるこの藤沢の地、特に藤沢宿のエリアが、交通の要衝であるとともに多くの商人が居住する有力な地であったことを示しているのではないか。そう考えると当時の賑やかな町並みが頭に浮かぶ。

 

遊行寺の門前にある労働基準監督署跡地に、ここが藤沢広小路であったと教えてくれる説明看板がと立っている。遊行寺を参詣する際にはここで足を止めて当時の町並みに思いを馳せて欲しい。