不思議な伝説が残る小さな橋

 

藤沢宿と江の島を結ぶ「江の島道」。

 

「江の島道」は、今は住宅街や商店街の中を貫く狭い道だ。自動車や自転車で通ると見落としてしまうが、「江の島道」であると知ってこの道を歩くと違った表情が見える。特に「江の島道」の中でも片瀬地区を通る部分は道幅が狭く、古い道ならではの雰囲気を残している。自分が進むちょっと先は見えなかったりして、この先には何があるのかとちょっとわくわくする。

 

「江の島道」を江の島方面から北上して新屋敷橋の辺りに出ると、左手に境川が流れる。すると境川とは反対の右手に緑色の小さな橋が現れる。その橋の名前は「馬喰橋(うまくらばし)」。本当に小さな小川に架かる小さな橋だ。

 

 

同じ「馬喰」と使った地名では東京に「馬喰町」(ばくろちょう)が思い浮かぶ。藤沢の「馬喰橋」は「ばくろばし」ではなく「うまくらばし」と読む。由来が気になり馬喰橋の横に市の教育委員会が設置した看板を見ると「源頼朝が片瀬川に馬の鞍を架けて橋の代わりにしたことから馬鞍橋、また昔馬がこの橋にさしかかるといななき突然死んでしまうことから馬殺橋と呼ばれた」と記載されている。

 

 

東京にある馬喰町は、馬を養い育てることを主に仕事をしている博労(馬工労)に由来しているという説が有力と言われている。同じ漢字が使われているので何か関係があるのだろうか。説明板の続きを見ると、行者聖が橋の石を取り替えてから馬が死ぬ事はなくなったという伝説が残っているというちょっと不思議な橋。

 

江戸時代には海上交通の要所として栄えたこの付近。その当時、石橋であった馬喰橋を人々はどのように見ていたのだろうか。道の脇にひっそりと残る馬喰橋から境川に体を向け目を閉じ当時を想像すると、馬が死ぬという不可解な出来事を畏れる人々や海上交通の賑わいが目に浮かぶようだ。