御坊市の名の起こり
1540年(天文9年) 吉原(現美浜町)に湯川直光が建立した浄土真宗本願寺派の寺。
1543年(天正13年) 豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失。
1595年(文禄4年) 現在地に移転、以来「御坊さん」と呼ばれ。1825年(文政8年)に現在の本堂が再建され、
1877年(明治10年)、西本願寺日高別院の称号を得ました。
料金 無料
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西本願寺日高別院 - 日本風景街道 熊野 ~シーニックバイウェイ紀南
本願寺日高別院 - Wikipedia
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『紀伊続風土記』によると、享禄元年(1528年)、摂津国江口の戦いで三好長慶の軍勢に敗れた湯川直光は、山科本願寺の証如の助力で小松原館に帰還できたことを感謝し、天文年間に美浜町吉原に一堂を建立し、次男の湯川信春を出家させ唯可としてその住職にしたという
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その後、唯可は石山本願寺に移った証如に拝謁し、祐存という法名と証如の御影を賜ったという。また、坊舎の号を許可され、吉原坊舎と称した。
天正13年(1585年)の紀州征伐により、吉原坊舎と湯川氏の居城・亀山城は焼失した。しかし、祐存は僧とともに薗浦の椿原に仮堂を建て、薗坊舎と称した。文禄4年(1595年)、紀伊国主浅野幸長の重臣・佐竹伊賀守の援助で薗坊舎を現在地に移し、鷺森御坊の別院として当院を再建した。現存する本堂は文政8年(1825年)の再建で、1877年(明治10年)に本願寺日高別院の称を得た[1]。
御坊舎に因んで地名も御坊と呼ばれるようになり、現在の御坊市の地名の起源となった。以降、門徒を中心に人々が周辺に往来し町場が形成され、日高地方の商業の中心になった。町は日高別院を中心に西町・中町・東町に分かれているが、特に東町には現在でも土蔵屋敷が多く残り、近世の町並みを顕著に残している。
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