奈良時代、孝徳天皇の御子である有間皇子は曽我赤兄の讒言により謀反の疑いをかけられ牟婁の湯(白浜温泉)に滞在中の中大兄王子により刑死させられた。その墳墓が岩内にある岩内1号墳であるという同志社大学の故森浩一教授の明言により一躍脚光を浴びた。実際、皇族級の副葬品が発掘されている。古墳一帯の地主である東睦子さんにより有間皇子の命日である11月11日には「有間皇子ことはじめ」が開催されている。