弥生時代

小松原・亀山・道成寺近くで銅鐸が出土

日高川以南の海岸沿いで製塩が行われるようになる。

古墳時代

天田古墳群、亀山古墳、祓井戸古墳群、広畑古墳などが造営される。

飛鳥時代

658年  有間皇子、殺害される。

後半、有間皇子の墓との説がある岩内1号墳が造営される。

701年(大宝元年) 文武天皇・持統太上天皇一行が牟婁の湯に行幸。

           道成寺建立

703年(大宝3年)   紀伊国那賀郡と名草郡に麻布の調を出すことを止めて絹糸を献上させた。ただし、有田・日高・

           牟婁郡には布の代わりに銀を献上させた。

754年(天平勝宝6年) 聖武天皇の皇太后 宮子が没する。

平安時代 

1109年(天仁2年) 藤原宗忠が熊野参詣の途中、善導子王子・塩屋王子に参拝。

鎌倉時代

1200年(正治2年)  後鳥羽上皇が3度目の熊野行幸の折、切目の宿で詠んだ和歌の中に

         「漁火の光にかはる煙かな灘の塩屋の夕暮れの空」藤原家隆がある。

1348年(正平3年) このころ、湯川光春が亀山城を築いたと推定される。

1528年(亨禄元年) 湯川直光は、細川勢に味方して河内に出陣したが敗れて山科本願寺の証如上人に援けを請うた。                

          証如は大和・河内の門徒に命じて助勢させ、直光を無事亀山城へ送り返したと言う。

1532年(天文元年) 直光報恩のため吉原浦に道場を建立、本願寺に寄進し、次子信治を開山とし「吉原坊舎」の

          初代住職となった。

1562年(永禄5年) 湯川直光、河内教興寺付近で戦死。

         この年、湯川直春が雑賀一族と誓詞を交わし同盟関係を確認する。

1585年(天正13年) 羽柴秀吉の紀州攻めにより、湯川直春は二百数十年来の亀山城と小松原館に自ら火を放って熊野                 に         に退いた。

1586年(天正14年) 直春、羽柴秀長の呼び出しに応じ大和郡山に行くも帰らず、一説によると毒殺されたと言われ

          その命日は7月16日と伝えられる。

1595年(文禄4年) 鷺の森の有力な講演者であった佐竹伊賀の守の尽力で薗・島両村の荒れ地に御堂が建立された。

         (現在の日高別院)

江戸時代

1619年(元和5年) 徳川頼宣(家康の第10子、南龍公)初代藩主として入国。

1631年(寛永8年) 薗御殿建立。

1667年(寛文7年) 1620年代に始めた大坂、江戸間の荷物運送の実態を見ると、御坊町17隻、薗浦29隻、名屋浦16隻        

          計62隻の廻船数が記録されている。

1674年(延宝2年) 薗御殿が取り壊される。

1678年(延宝6年) 小竹八幡宮が薗御殿跡へ遷宮。

1752年(宝暦2年) 日高郡ではロウソクの原料として櫨(ハゼ)の木62か村で42,661本が栽培された。

1756年(宝暦6年) 薗裏堀河屋八左衛門船、択捉島に漂着。

1777年(安永6年) 日高廻船の総数は57隻を数える。

1779年(安永8年) 廻船住吉丸は伊豆沖で遭難し中国福州に漂着。翌年長崎に戻る。

1789年(寛政元年) 日高川大洪水。

1790年(寛政2年) 野口村、前田清右衛門が讃岐から甘藷の苗を取り寄せ各地に広まる。

1824年(文政7年) 新町和泉屋喜太夫船「柳徳丸」伊豆沖にて遭難。

1825年(文政8年) 日高別院現本堂落成。

1850年(嘉永3年) 薗裏和泉屋庄右衛門、所持の廻船「天寿丸」伊豆沖で遭難。

          米国の捕鯨船に救助され乗組員13名がカムチャッカ・ハワイに滞留される。

          日高郡で生ロウソク業仲間に加入しているもの16軒、そのうち御坊の「ロウ屋」は外河屋。 

          志賀屋、堀河屋、岩国屋、和佐屋、大黒屋、和泉屋、松原屋などであった。

1854年(嘉永7年) 大地震(安政地震)。津波による被害を受ける。

明治時代

1868年(明治元年) 名田村でサツマイモの栽培が始まる。

1871年(明治4年)  和歌山県・田辺県・新宮県が統合され現和歌山県誕生。

1873年(明治6年)  御坊小学校開校。

1876年(明治9年)  天田橋架設。(7月流失)

1877年(明治10年)  西南の役にて日高から46名の戦病死者を出す。

1889年(明治22年)  県下一円で大洪水。死者1247名、家屋流失3,677戸の大被害を出した。

1897年(明治30年)  御坊町発足。

1912年(明治45年)  日の出紡績株式会社創立。従業員数男女計650余名。

大正時代

1913年(大正2年)   日高川帆船組合結成。

1914年(大正3年)   この頃、焼玉エンジンの機帆船登場。

1916年(大正5年)   日高川水力電気株式会社設立。

1917年(大正6年)   暴風雨のため各河川増水。日高川筋では浸水家屋、御坊町170戸、藤田村10余戸、野口村40戸

           木材の流失13万本に及ぶ。

1919年(大正8年)   日高川運送株式会社開業  川舟10隻

           日高紡績株式会社設立。

1920年(大正9年)  南海紙業株式会社設立。 

1921年(大正10年)  御坊、船津間にプロペラ船就航。

1925年(大正14年)  湯川村財部からメキシコ移民始まる。

1926年(大正15年)  近藤浩一郎画伯が探勝と制作のため来坊。和田から浜ノ瀬の松原を「煙樹ケ浜」と命名した。

昭和時代

1928年(昭和3年)  御坊で初めてタクシーが走る。

           御坊臨港鉄道株式会社設立。

1929年(昭和4年)  紀勢西線が御坊まで完工。御坊駅開業。

1934年(昭和9年)  室戸台風襲来。大被害をもたらす。

           名田村が県下第一の除虫菊生産地になる。(~昭和12年)

1937年(昭和12年)  カナダから帰国の名田村出身佐藤栄三郎がオランダエンドウの種子を持ち帰る。その後、

           栽培に成功。

1940年(昭和15年)  日の出紡績が他の紡績3社と合併して大和紡績となる。

1,942年(昭和17年)  町内24の製材工場が廃業。

 

1947年(昭和22年)  日高川の河原にて競馬開催。

1950年(昭和25年)  ジェーン台風。日高地方北部被害甚大。

1952年(昭和27年)  南海果工設立。

1953年(昭和28年)  7.18水害。日高川筋県下最大の被害となる。

1954年(昭和29年)  御坊町と近隣6村とが合併して御坊市が発足。

           大洋化学設立。

1955年(昭和30年)  けほん踊が県の無形民俗文化財に指定される。

1957年(昭和32年)  クヌッセン機関長(デンマーク)が日の岬沖で遭難。

1959年(昭和34年)  伊勢湾台風、日高地方も被害甚大。

1961年(昭和36年)  第二室戸台風来襲。

1971年(唱和46年)  黒潮国体

1973年(昭和48年)  御坊臨港鉄道を紀州鉄道と改称。

1975年(唱和50年)  御坊市・印南町で県下の西瓜の6割を生産する一大産地となる。

1976年(昭和51年)   「獅子頭づくり」の山本幸太郎氏和歌山県名匠に選ばれる。

1977年(昭和52年)  「御坊人形づくり」の田中正助氏和歌山県名匠に選ばれる。

1988年(昭和63年)  健伝統工芸品に「御坊人形」が指定される。

ーー御坊市HPより転載ーー