仙石ゴルフコース(せんごくゴルフコース)は、仙石原にあるゴルフ場。富士屋ホテルの山口正造ら箱根ゴルフ及銃猟倶楽部が、神奈川県から3,000円の補助金を受けて建設し、1917年に開業した。
沿革
1915年(大正4)、富士屋ホテルの山口正造が、ゴルフ場建設で県知事の賛同を得る(2)。出資者を募るため、箱根ゴルフ及銃猟倶楽部を設立(2)。
仙石原村との交渉で、銃猟については開発を断念(2)。
1916年(大正5)、県知事にゴルフ場建設の補助金を申請し、「名勝地改善補助金」として1917年2月-1918年11月にかけて3回にわたり県から3,000円の補助を受ける(2)。
1917年(大正6)4月、F・E・コルチェスターの設計でコース建設に着手。同年7月に7ホールが完成し、開場(2)(播摩ほか1994は同年12月の開業としている(1))。宮ノ下御用邸に避暑に訪れていた東宮時代の昭和天皇がしばしばコースを訪れた(2)。
同年9月に9ホールが完成(2023年現在のアウトコース)、1918年(大正7)にクラブハウス新築(2)。
その頃から経営難となり、1920年(大正9)に倶楽部組織を解散し、権利を富士屋ホテルに譲渡した(2)。
1932年頃、ゴルフ場のキャディ会員は仙石原村の尋常5年以上の高等科の男子で構成されていた(2)。
1935年(昭和10)赤星四郎の設計でイン9ホールが竣工、全長6,320ヤードの18ホールが完成した(2)。
1937年(昭和12)クラブハウスを増築し、付属ホテル新設(2)。仙石(原)ゴルフ・クラブ・ハウスと称する。
1939年(昭和14)山梨県(南都留郡)明見村から古民家を移築して倶楽部ハウスの一部(午六山荘)とした(2)。
1945年(昭和20)、アメリカ軍により接収(2)。13番・14番が使用不可となり、9ホールで営業(2)。
1946年(昭和21)、宮ノ下御用邸の払い下げを受ける(菊華荘)(2)。
1949年(昭和24)、キティ台風で14番・15番が損壊(2)。
1952年(昭和27)米軍による接収解除(2)。「富士屋ホテル仙石別館、仙石ゴルフコース」と改称。
1979年(昭和54)、新クラブハウス竣工、「富士屋ホテル仙石ゴルフコース」に改称。
2017年(平成29)、創業100周年を迎え、記念誌刊行(3)。
リンク
- 富士屋ホテル 仙石ゴルフコース ウェブサイト
関連資料
- 『富士屋ホテル仙石ゴルフコース100年史』富士屋ホテル、2017
参考資料
- 播摩ほか1994:「年表」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、148-151頁
- 仙石ゴルフコース ウェブサイト>歴史、2023年1月20日最終更新
- カナロコ「100年の歩み一冊に 仙石ゴルフコースが発刊」神奈川新聞、2017年8月25日