ここでは、久親恩寺 について紹介します。

在所:楠葉中之芝一丁目21-18 

【ポイント】

①.寺院概要

 ・宗派:曹洞宗寺院(永平寺末寺)

 ・本尊:薬師如来

②.京街道際に山門を持つ大寺であった(鳥羽・伏見戦争で全焼)。 

③.樹齢600年の楠 (枚方市保存樹木1号に指定)。

  保存樹木2号は、小休本陣跡の横の楠玉神社にある。

④.篠崎六郎左衛門とその孝行娘の話

⑤.京阪電車線路寄りの墓石の裏側が道標が刻まれている。

⑥.当寺の庫裏は、2015年に漏電で焼失し、建て替えられました。

  保存樹の楠も影響を受けたが、樟玉天神の楠と夫婦樹木ということで保存処理が図られ、2016年7月には、新芽をふいて生きがえっている。

【関連写真】

 久親恩寺全景2012_06_09 金只   朽ち果てた山門2013_01_28 金只   

 標柱(久親寺)2013_02_16 金只   楠葉道心&禅尼の墓標2013_01_28 金只   

 背に道標を刻字した墓石2015_02_12 金只   枚方市保存樹木の楠木2015_02_12金只

【補足説明】

①.「大阪府全志巻之四」によると

 久親恩寺は字中之芝にあり、大孝山と号し、曹洞宗永平寺末にして、薬師如来を本尊とす。開基の年月は詳ならず。俗に楠葉道心の寺と呼ばれる。・・・俗に親乞薬師の名あり。

 楠葉道心因話録に依れば、同道心は俗姓を篠崎六郎左衛門といひ、本地に居住せし武士なり。父篠崎掃部助は南朝に属して楠正成と親しく、正成と共に湊川に討死せり。六郎左衛門は亦楠正儀に組し、文和2年(1353)6月の京都攻撃に加はりて、足利義詮を走らしめしも、同7月正儀に従ひて本国に帰りにけるに、その胃の中に納め尊信せる弁財天女の夢告に依り、剃髪して元梅と法名し、尊像に其の剪捨てたる髪の毛を添へて本地なる妻子の許に贈り、其の身は東国、北国を指して飄然修行の途に就けり。

 楠正儀の聞く所となりて、正儀より養育せんとて使者来りしかば、姉は父の贈れる弁財天女の像を与へて、弟を正儀の方に遣はし、姉は亡母の菩薩を弔ひ父の志を遂げさせまいらせんと思ひ、本地に留りて尼となり、世に篠崎禅尼と呼ばれる。・・・親乞薬師といへえる、即ち禅尼姉弟が、母の病痾平癒を祈りしより呼ばれたる称にして・・・。

②.久親恩寺の栞より

 久親恩寺は、山号を大孝山と号し、禅宗曹洞宗であります。

 枚方市の北端に位置し、天王、八幡の両山を背に、東に八幡連山が続き、西に淀の流れ、南に河内平野が広がり、又京阪樟葉駅と橋本駅の中間で清閑の地にあります。

 久親恩寺の地は昔、篠崎の里と言い、楠葉道心発祥の地で、由来を尋ねますに、当寺の本尊薬師如来は、御身の丈六尺、行基菩薩(668-749)の直作にして、昔「西ノ寺」というのがあり、その寺の本尊であります。

 延宝(1673~1681)の初期開山抜山門英大和尚が、この地に行脚して草堂の荒壊するを嘆き、衣資の余りを以って当寺の地を求め、禅堂を創建し、所領90余石を置き、禅寺を建立したのが久親恩寺であります。

 楠葉道心の因話を尋ねますに、延元(1336-1339)元年南朝の忠臣楠正儀の家臣篠崎掃部助六郎左衛門は、当村居住の人で妻子を残し出陣しましたが、残る妻は屡(しばしば)病魔に罹り、息女は一途に当薬師如来に病気平癒を祈願致しましたが、霊験空しく他界した事は、楠葉道心因話録に詳で有り、故に親乞の薬師とも伝えられて居ります。

 後、篠崎掃部助は、楠正義の戦いに利のない事を自念仏なる兜の弁財天女のお告げにより、出家して名を「元梅」と改め高野山に登り清浄の行者となりましたが、この時姉が11歳、弟が7歳でありました。

 弟は、正儀の恵みにより正儀方に引き取られ、姉は、剃髪染衣して篠崎禅尼と称し、本堂のかたわらに柴の庵を結び明け暮れ、楠葉七郷を修行頭陀して、一つには母の冥福を資け、二つには父の法寿長久を祈りました。故に山号を大孝山と号し、久しき親の報恩のため久親恩寺と寺号されたと伝えられて居ります。

 猶、薬師如来の御神兜には、疾病悉く平癒し、中でも視覚障害、言語障害、手足を痛めた者、母乳足りない者の宿願をこむるに霊験叶えるものなり、このように楠葉道心の因話については、当寺保存の楠葉道心因話録並びに谷崎潤一郎先生著「三人法師」に詳らかであります。

 又その昔、当時の山門は、京街道に直結し、長州藩主通行の途次等重要な休憩所にあてられ、「久親恩寺の麦飯」の名と共に伝えられておりますが、唯今でも当寺に保存する飯櫃、表入口の大門等堂宇の構造、本堂礎石等から推しても多々納得の行くところがあります。

  ※ 参考

  貝原益軒 南遊記 これより楠葉の里にはいる 俗楠葉道心が庵の跡なり 云々

  河内鑑 名所記  くす葉道心のやしきあと松原にしてあり、露の身の楠葉におこす道心は後の生まれのためになるべし

③.久親恩寺の寺名のいわれは、「久しき親の恩」からという説と、篠崎六郎左衛門の久親(ひさちか)からとの説(楠葉道心因縁話)がある。

④.再興は大規模なのもで、それに合わせて街中では浄瑠璃「くずは道心」が上演されたそうです。