ここでは、八幡宮(磯島) について紹介します。

在所:磯島元町5−7

【ガイドポイント】

①.元和8年(1622)、領主日野前大納言が八幡宮を勧請した。

②.正徳元年(1711)、拝殿が新築。

③.旧鳥居に寛保3年(1743)と攝津国嶋上郡磯島村の刻印が有名となった。

 ・旧磯島村は、元々淀川の中洲にあり摂津の国に属していた。しかし、枚方側の埋め立てによって淀川左岸と地続きとなった。

  ※ 過っての淀川左岸は、御殿山・交野台地・万年寺山を結ぶ裾まで流れがあった。

    その河川敷に秀吉が文禄堤を築いて京街道の筋まで淀川は狭まった。

    その後、淀川の治水事業で左岸の堤防を直線的に付け替え現在のように改修された。

【関連写真】

 全景2012_11_30 金只​   本殿2012_11_30 金只​   

自治会館裏の桜

【補足説明】

 『枚方市史』によると、元和8年(1622)当地の領主日野前大納言が八幡宮を勧請し、社殿を造営した。正徳元年(1711)には拝殿が新築されている。

 この神社を有名にしてるのは旧鳥居に彫られている神社の所在地で、「摂津国嶋上郡磯島村」とあり、もう1本の柱には「寛保3年(1743)」とある。このことから、旧磯島村はかっては淀川の中洲にあり、中州は枚方よりも高槻寄りで、摂津国に属していたことが分かる。

 明治42年に片埜神社(牧野阪町)に合祀されたが、その後も当地には遙拝所があったという。社殿はまだ新しい。

 近年、隣接する集会所改築にともなって、社殿を縮小して改築したものという。道路に面した鳥居と社殿との向きが90度違っているのが面白い。