ここでは、中宮団地公園 について紹介します。

在所:枚方市中宮北町2・・・中宮公園北端

【ポイント】

①.奈良時代頃(西暦8世紀時代)に営まれた遺跡。

②.条理区画された町並みを彷彿させる古代道路跡。

③.中宮団地公園の桜の植込みは春の桜、夏の緑陰、秋の紅葉を楽しませてくれる。

【関連写真】

​ 殉職者記念碑横から見た全景2016_04_30 金只​  百済寺南北線上の案内表示盤2016_04_30 金只   

 案内表示盤全景2016_04_30 金只​   案内盤より切出し​    

【補足説明】

①.現地案内表示盤より

 アミティ中宮北町は、禁野本町遺跡のほぼ中央に位置し、奈良時代後期にかけての遺構が多く残っていました。

 この時期には桓武天皇と親密な間柄であったといわれている百済王氏(クダラノコニシキウジ)(朝鮮半島百済国王の末裔)の一族が、この付近に暮らしていたと考えられ、これらの遺構も百済王氏と関係するものと思われます。

 特に平成13年(2001)の発掘調査で見つかった南北及び東西にのびる遺跡は、当時の道路側溝であったと推定され、南北にのびる道は、南方に位置する特別史跡百済寺跡の中心軸へ、直線上にのびていた道路であったと考えられています。

 また東西にのびる道は、百済寺跡の北端から540~550mに位置し、古代条理(古代の土地区画方式のこと)尺度のほぼ5町(1町=約109m)にあたる位置にあります。

 今立っているこの場所は、その東西の道路と南北の道路が、ほぼ交差していた場所にあたり、この場所から百済寺跡にかけての範囲で、古代の計画的なまちづくりが行われていたと考えられます。

【参考情報】

You Tyub:ブラタカシ(枚方に古代都市)・・・伏見隆市長が禁野遺跡を紹介