ここでは、古墳(姫塚)について紹介します。

在所:伊加賀寿町1・・・京阪園芸㈱の構内

【ポイント】

①.嵯峨天皇女御(貴命 百済王俊哲の娘)との言伝え

【関連写真】

  京阪園芸の咲き誇る花2016_10_15 金只​  奥の作業場との境にある姫塚2016_10_15 金只

【補足説明】

①.今井啓一(大阪樟蔭女子大学教授文学博士)著「百済王敬福」126頁より

 姿質妹麗。女工に閑へり。嵯峨太上天皇御宇の時、引きて女御と為れり。即ち是れ二品式部卿太宰師忠良親王の母なり。弘仁10年正月従五位上に叙し、10月11日従四位下に叙す。

と見え、先之、任明紀承和元年2月乙未条にも、

 忠良親王冠す。即ち四品に叙す。先太上天皇第四子なり。母は百済氏。従四位下勲三等俊哲 従四位下貴名是なり。

と明記されている

 なお、紀略によると、太上天皇(嵯峨)の皇女で淳和天長8年戌午に薨ぜられた〇品基子内親王と同息子で同6月〇辰薨ぜられた〇品基良親王も亦、招運録によるといずれも母は女御百済王貴命としている。

 貴命の墓は河内志に百済王女墓、伊加賀村とし、いま「枚方公園」駅の南約二町、旧京阪電車線路沿い河内街道西側の田圃間に小封土を遺す「姫塚」をこれと伝えている。