ここでは、善法律寺 について紹介します。

在所:京都府八幡市88-1

【ポイント】

①.宗派:唐招提寺末寺 律宗

②.起源:鎌倉時代に石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。

③.室町時代には、善法寺通清の息女紀良子が足利3代将軍義満を生んだことから足利将軍家との関係が深い。

  ※ 良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから紅葉寺とも称される。

④.本堂は、石清水八幡宮の旧社殿を移築。内陣を高御座と呼ぶ神仏混淆(コンコウ)の五間四方造り。・・・京都府指定文化財

⑤.本尊は、八幡大菩薩像である。明治の神仏分離の際に石清水八幡宮から当寺に移された。・・・八幡市指定文化財

  ※ その他多数の文化財の詳細は、ホームページ参照。

【関連写真】

 山門2012_09_25 金只   標識(観光客向)2012_09_25 金只   

 説明板2012_09_25 金只   標石(善法律寺)2012_09_25 金只   

 本堂全景2012_09_25 金只   庫裏2012_09_25 金只   

【補足説明】

①.境内案内板より

 奈良唐招提寺末で律宗に属す。鎌倉時代、正嘉年中(1257~1259)石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。

 室町時代には、善法寺通清の息女紀良子が足利3代将軍義満を生んだことから将軍家との関係が深い。良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから紅葉寺とも称される。

 本堂は、内陣を高御座と呼ぶ神仏混淆(コンコウ)の五間四方の堂で八幡宮の旧社殿を移築したとされ、建築年代は不詳であるが、桃山時代の特徴を示すといわれる。

 本堂本尊は、もと石清水八幡宮にまつられていた僧形八幡坐像といわれ、明治の神仏分離の際に当寺移された。像高92cm、木造彫眼、平安時代末頃のものといわれる。両脇には、愛染明王・不動明王があり、寄木造り玉眼彩色の等身大で創建時の作である。

 奥殿には宿院頓宮にあったという宝冠阿弥陀如来(南北朝時代)や善法寺祐清が造立した観音堂の本尊千手観音菩薩立像(鎌倉時代)など寺宝は多い。放生池畔には、もと大乗院にあったという五輪塔(鎌倉時代)もある。

 また、境内には昭和9年の室戸台風で犠牲になった八幡尋常高等小学校の校長生徒等の慰霊碑がある。

        1994年3月  八幡市教育委員会

【参考情報】

ホームページ:善法律寺