ここでは、天野川について紹介します。

【ポイント】

①.源流は、四条畷市田原の住吉神社の「星の森」である。

②.磐船峡谷(国道168号線)を下って流れる延長約16kmの一級河川。

 ※ 昔々甘野川と呼ばれた。

 ※ 天の川は生駒山系の花崗岩質で、光り輝き宇宙の銀河を思わせた。

③.江戸時代の記録によると川幅平均七十間(126m)とあり現在より相当川幅が広かった。

【関連写真】

1.河口部分

 現在の淀川への流入口には、淀川の水質保持の目的で、礫間接触浄化法に基く浄化施設が整備されてます。

 天野川河口の説明版2016_06_09 金只​   天野川浄化の仕組み(河口案内板より切出し)

​ 京阪本線から天野川下流側を見る。向こうにかささぎ橋が見える
2016.03.12 吉田耕一郎

2.国道1号線横断部分

 

3.藤田川分岐箇所

 

4.北川分岐箇所

 

5.野々川分岐箇所

6.逢合橋付近(交野市私部西)

 逢合橋全景2013_06_06金只​   

【補足説明】

1.天野川の由来

 『天野川』は四条畷市田原の住吉神社の「星の森」を源流として、磐船峡谷(国道168号線)を下って流れる延長約16kmの一級河川。天野川は昔々甘野川と呼ばれた。それはこの地の天野川流域で米作りが行われて、おいしい米がとれ、おいしい米の取れる地、甘野、そこに流れる川を甘野川と呼ぶようになり、それがいつしか七夕伝説と結びつき天の川となり、平安時代以降これが定着した。その七夕伝説は、中国最古の詩集「詩経」(紀元前10~6世紀)にでてくる古伝説で、これを渡来人が持ち込み生活習慣に取りいれたと云われている。 また、天の川は生駒山系の花崗岩質で、昔は川砂が月の光でキラキラと光り輝き宇宙の銀河を思わせるところからこの名がついたとも伝えられている。

 かくの如く白砂広く直にして数里続きたるは未だ見ず。天の川と名付けしことむべなり。と。貝原益軒(江戸前期の儒学者(1630~1714))が紀行文に書いている。天の川は江戸時代の記録によると川幅平均七十間(126m)とあり現在より相当川幅が広かったようである。

2.支流北川・野々川周辺の春日一帯・・・津田での古老の話

 昔は、春日一帯は沼地であった。

 地蔵池周辺が土砂崩れによって村が壊滅した後、村落が集団で春日に移住して環濠集落を作ったとのこと。

【参考情報】

Wikipedia淀川 

​     天野川

​Internet  :国土交通省淀川河川事務所