ここでは、宝塔院(琴塔)跡 について紹介します。

在所:京都府八幡市八幡高坊

【ポイント】

①.平安時代中期の万寿年中(1024~1028)にはすでに建ていた。

②.明治初期の神仏分離令によって解体され、参道として整備された。

【関連写真】

 宝塔院(琴塔)跡2019_12_04 金只      

以下案内板より切り出し画像

           塔の軒下に琴   

 慶応2年(1866)に描かれた宝塔院      

【補足説明】

①.現地案内板より

 宝塔院は、本殿の東側に、平安時代以降明治初年まであった天台宗密教系の仏塔で、平安時代中期の万寿年中(1024~1028)にはすでに建てられていました。軒の四隅に風が吹くと鳴るように琴がかけられ、「琴塔」とも呼ばれていました。江戸時代の設計図によると、大きさは側柱一辺が10.92m、高さが11.9m。このような方形の二重の塔は、天台宗の「大塔」の様式で、現存する例は日本に一つしかありません。明治の初めに神仏分離令によって取り除かれ、基壇の中央に参道が通されました。今も参道の両側に、柱を支えた礎石がのこされています。

 本殿の西側には真言宗の大塔もあり、密教の別宗派の大塔が、同じ境内に本殿とともに共存していたことは、石清水八幡宮の神仏和合の精神をよく表しています。

【参考情報】