ここでは、山田神社(田口) について紹介します。

在所:田口2丁目

【ポイント】

①.主祭神 菅原道真公 

②.社格等 村社 

③.創設時期不明:延宝9年(1681、徳川綱吉時代)4月の社寺改に、『田口村氏神 天神社』とある。

④.天保5年(1834)に、奈良・春日神社の旧社殿をもらい社殿建立

⑤.明治5年(1872)

 ・字南山(現春日山)にあった春日神社出屋敷近くにあった高龗(タカオカミ神社を境内末社(現琴平社)として合祀

 ・同時に「山田神社」に改称

【関連写真】

 一の鳥居2013_05_28 金只​   二の鳥居2013_05_28 金只​   社殿入口山門2013_05_28 金只​   

 田口山田神社全景2014_02_26 金只​   山田神社正面2013_05_28 金只​   

 春日神社2013_05_28 金只​   琴平神社2013_05_28 金只

 ※ 珍しいしめ縄

 一の鳥居普通のしめ縄014_01_01 金只​   二の鳥居の珍しいしめ縄2014_01_01 金只​   

 樫木を荒縄に刺したもの2016_03_31 金只​   山門の天満宮の暖簾2014_01_01 金只   

【補足説明】

①.山田神社の由来

 江戸時代までは『天神社』と称し、明治5年に今の社名に変更したという。

 当社の創設時期は不明だが、延宝9年(1681、徳川綱吉時代)4月の社寺改に、『田口村氏神 天神社』とある。

 その後、天保5年(1834)に社殿を再建したとき、奈良・春日神社の旧社殿をもらい受けて新社殿を建立した。降って明治5年(1872)、字南山(現春日山)にあった春日神社および出屋敷近くにあった高龗(タカオカミ)神社を境内末社(現琴平社)として合祀したという。現社殿は、昭和50年改築したもの。

 建て込んだ民家に囲まれた神社だが、敷地は広い。石燈籠が立ち並ぶ参道奥の楼門を入った正面右寄りに、山田神社の拝殿・本殿が、その右に朱塗りの春日神社が並んでいる。

 明治42年(1909)、神饌幣帛料供進神社に指定された。現社殿は、昭和50年改築したもの。

 枚方市牧野阪の片埜神社宮司の兼務社となっており、普段は神職が常駐していない、

②.末社春日神社

 ・祭神:アメノコヤネ命

 明治5年の神社整理統合によって、現山田池公園内の春日山(旧字南山)から合祀された神社。公園内の池を望む南斜面に『春日神社旧跡』と刻んだ石碑が立っている。

 祭神のアメノコヤネは藤原氏(中臣氏)本来の祖神とされる神で、記紀の天岩屋神話では祝詞を称えて祈願し、天孫降臨のとき天孫ニニギに従った五部神の一つとされる。アマテラスから宮中祭祀を司るよう命じられたとされ、それを職掌とする中臣氏の祖神として枚岡神社(東大阪市)・春日大社(奈良市)に祀られている。旧・字南山に春日社が祀られた由緒は不明。

 末社とはいえ、本殿右に堂々たる社殿を擁し、本殿並みの処遇を受けているが、その理由など不明。 

③.末社琴平神社

  ・祭神:タカオカミ神・オオモノヌシ命 

 社殿の祠は小さいが、境内の一画、鳥居・瑞垣に囲まれたなかに鎮座する。

 春日神社と同じく、明治5年に合祀された末社。古くは「高龗社(タカオカミ)」と称したらしい。祭神タカオカミは水神(竜神)で、“オカミ”とは龍を意味する古語。

 琴平社の総本家・讃岐の金比羅社の祭神・金比羅大権現は、インド・ガンジス川の竜神(ワニともいう)が仏教に取り込まれ護法神となったもので、これもまた水神。そこから農業では豊饒神として、海運・漁業では航海安全・豊漁神として広く信仰された。

 また、何故かオオクニヌシの和魂(ニギタマ)であるオオモノヌシとする説もある(讃岐には、「昔、海が琴平の地まで湾入していた頃、オオモノヌシの行宮があった」との伝承があるという)。