ここでは、御狩野神社 について紹介します。

在所:枚方市禁野本町2丁目 7-41

【ポイント】

①.祭神:大鷦鷯命(オオサザキミコト)、進雄命(スサノオノミコト)、百済王(クダラオウ)

②.祭礼:歳旦祭:1月1日、春祭:4月8日、祭日例祭:10月15日

③.氏子:天之川、西禁野、禁野本町、宮之阪

 【関連写真】

  拝殿&本殿2012_12_05 金只​   

【補足説明】

①.神社の由来・・・インターネット「枚方の神社ー3」より一部引用

 万治(1658-1660)寛文(1661年-1672)に禁野の市辺朝右衛門の邸内に勧請した社を、その後(年代不詳)に和田寺の隣・雉子塚の傍らに移して旧禁野村の産土神として祀ったのが始まりです。

 明治42年3月5日に、(現)枚方市牧野阪に鎮座の片埜神社に合祀された。合祀前の境内地は140坪であり、田地78坪、畑地93坪、山林360坪を有したが、合祀の際に片埜神社の基本財産に転入された。

 昭和26年3月15日付をもって現在地(元の神社跡)にご遷宮された。現在境内地は100坪である。

 昭和31年12月17日付をもって社殿を設立をした。

②.惟喬親王の伝承地「雉塚」・・・インターネット「枚方の神社ー3」より

 創建伝承にいう“雉子塚”関係の遺構として、隣接する和田寺境内に『三足白雉霊』との石碑がある。石碑裏面には「河内交野郡禁野村医王山鎮守雉大明神因由記 安永2年書 惟喬親王の時、白雉の霊を祀る雉大明神の神祠が建てられた」とあるそうだが、摩耗激しく判読不能。

 色々の伝承

 ・神社由緒;惟喬親王が当地で御遊あったとき、三本足の白雉が渚院に飛び来たって死んだので、和田寺上方の薬子山(医王山)に葬った

 ・枚方市史;昔、枚方に三本足の白雉がいたが、ある日猟師に撃たれ傷を負ってこの地に逃れ来て死んだので、墳墓を築いて葬った

 ・旧枚方市史;薬師堂に白雉が飛び込んできたので仰ぎ見たら、薬師如来が涙を流し身に汗を流しておられた。惟喬親王が帰依讃仰されたら、白雉が天女の姿で現れ、吾は富士のカグヤヒメまたタナバタツメと申す。弁才天の化身であるといって天に向かって去っていった。親王が雉大明神として当山に崇鎮した

といった伝承がある。

 薬子山(医王山)には、かつて“白雉古墳”という円墳(径30mほど、後期古墳)があったという。これが雉子塚だろうが、昭和40年代の宅地開発で消滅している。
 また、この近くに渚院があったことからか、当地付近には惟喬親王がからむ伝承が多い。