ここでは、東谷橘本(キッポン)坊跡 について紹介します。

在所:京都府八幡市八幡高坊

【ポイント】

①.橘本坊は足利氏の祈願所であった。

【関連写真】

 東谷橘本坊跡2019_12_04 金只   案内板(東谷橘本坊跡)2019_12_04 金只   

 案内板の石垣の写真2019_12_04 金只   

【補足説明】

①.現地説明板より

 橘本坊は足利氏の祈願所でした。足利氏は、平安時代後期に石清水八幡宮社頭で元服し、「八幡太郎」と呼ばれた源義家の孫・義康を祖とする武家の名門で、室町幕府を開いた足利尊氏から約240年間にわたり日本を統治しました。

 室町幕府3代将軍である足利義満の母、良子は、石清水八幡宮の長官を務めた家である「善法寺家」の出身であったことからゆかりが深く、足利将軍の多くは生涯に何度も参詣し、放生会(ホウジョウエ)(現在の勅祭・石清水祭、9月15日未明に斎行)も執り行いました。橘本坊には世に名高い八幡太郎義家の産衣(ウブイ)や甲冑がありましたが、宝暦9年(1579)の火事で焼失し、今は石垣だけが残されています。

 男山の麓、南へ約300mに善法寺家ゆかりの寺、善法律寺があり、良子の寄進と伝わる紅葉が美しく、「もみじ寺」ともいわれます。