ここでは、枚方八景(国見山の展望) について紹介します。

在所:国見山頂上

【ポイント】

①.この地点の背後に、津田氏の山城跡がある。

  この地点は、その山城の物見櫓があった?

②.北は、三川合流点から南は大阪湾まで見通せる眺望。

③.山頂を通るウォーキング道路は、おおさか環状自然歩道の一部となっている。

【関連写真】

 国見山の展望2012_10_11 金只 

 現地案内板①2012_10_11 金只​   現地案内板②2012_10_11 金只

【補足説明】

①.現地案内板(市民が選んだ『枚方八景』国見山の展望)

 姿勢35周年を記念して、「ふるさと枚方」らしい風景を将来に伝承していくことを目的に枚方八景を制定することになり、市民の方々から候補地を推薦していただきました。さらにその候補地を市民に投票していただき、結果を参考に「市民が選んだ枚方八景」として、当地が選ばれたものです。市民の皆さん、次の解説文を参考にしていただいて歴史と文化のかおるわたしたちの町のよさを再発見していただければ幸いです。

(解説)

 国見山は標高およそ300m。今から約500年前、津田周防守(スオウノカミ)正信が築いた津田城があったと言われています。山の南東は、大和に続く山並であり、その東に広がる南山城平野を貫いて木津川が北流するのがみられます。山並の向こうにも笠置の山に続く鷲峰山(ジュブザン)がみられます。木津川・宇治川・桂川の合流点をへだて、京都の市街がひろがり、比良・比叡のひときわ高い山容を望むことができます。石清水鳩ケ峰(ハトガミネ)と天王山の狭間から淀川が南流して、摂津と河内を二分しています。下流の方向には、六甲山や大阪湾が白く光るのもみえます。摂津・河内の両平野を下ってくる風は、汗ばんだ肌に快くよく吹きます。穂谷方面から登ると、市立野外活動センターがあり、途中から白旗池や交野山、くろんど池に出ることができます。また津田から登るとすれば、まず地蔵池を目指し、そこから林間のハイキングコースをたどる道は、よく整備されており、十二分に森林浴を楽しめます。

昭和59年10月制定 枚方市

(津田氏と国見山城)

 1490年ころ津田周防守正信は周囲の地形を利用して国見山城を築き、4代約100年間にわたり、戦国の世にこの地で勢力をふるった。二代備後守正忠は天文年間(1532-55)蓮如の子、蓮淳が招堤に敬応寺を創建したとき、娘を側室におくり本願寺勢力と通じた。三代周防守正明に至り津田氏の勢力は最も強大となり、飯盛山城に拠って畿内に号令した三好長慶と結び、交野・茨田両郡で1万石を領した。

 天正3年(1575)4月、織田信長の河内平定のため、藤坂・津田などは洞ヶ峠から攻められ、国見山城も焼き払われた。このとき城主は四代津田主水頭正時であった。正時は天正10年、山崎合戦に明智光秀に味方するため招堤寺内衆とともに出陣したが、秀吉方に敗れ、津田・尊延寺などの領地は没収された。

 国見山城は、緊急時に使用する砦としての役割をはたしていた。傾斜面を切り開いて建物を建てた跡が数ケ所あり、南方の狭い尾根からの攻撃に備えるため、東西に土塁も築かれている。

 昭和31年には数回の発掘調査が行われ、山頂東側において地表下30cmから焼土覆が確認され、天正3年の織田信長による焼打ちによる火災の跡当時の陶磁器の破片も出土している。 枚方市教育委員会

②.現地案内板より

 国見山は標高およそ300m。今から約500年前(15世紀の末)、津田周防守が築いた津田城があったといわれています。

 山の南東は、大和に続く山並みで、その東に広がる南山城平野を貫いて、木津川が北流するのが見られます。山並みの向こうには笠置の山に続く鷲峰山(ニュウブザン)がみられます。

 木津川・宇治川・桂川の合流地点をへだてて、京都の市街が広がり、その向こうに比良・比叡のひときわ高い山容を望むことができます。

 石清水鳩ケ峰と天王山の狭間から淀川が南流して、摂津と河内を二分しています。見晴らしのよい日には下流の方向に、六甲山や白く光る大阪湾がみえます。摂津・河内の両平野を渡って来る涼風は、汗ばんだ肌に快く感じます。

 穂谷方面へは、私立野外活動センターがあり、途中から白旗池や交野山(コウノサン)、くろんど池方面へのハイキングコースとなっています。

 津田方面へは、よく整備された登山道があり、途中、山桜を見上げる絶好の位置にウッドデッキが設置され、森林浴を楽しめます。

②.津田氏による国見城・・・津田の専光寺所蔵「国見城主系図」より

 延徳2年(1490)、河内津田に正信公なる人物がやってきて、「国見岳」に山城を築き津田周防守正信と名乗り、津田、尊延寺、芝、穂谷を領したと「国見城主系図」に書かれています。二代目城主 備後守正忠は、招提村敬応寺の蓮如の弟子 連淳と関係を結び門徒勢力の本願寺を後ろ盾に勢力を保ち、三代目城主 周防守正明は、河内飯盛山を拠点として近畿一円に勢力を保ち強大であった戦国武将三好長慶の招きにすぐ応じたため、津田・牧八郷・友呂岐六郷の土地所有を認められ全盛を誇ったと言われています。

【参考情報】

枚方市ホームページ:国見山の展望

インターネット:おおさか環状自然歩道・・・案内板①に紹介の道