ここでは、枚方宮(ヒラカタグウ)神社 について紹介します。

在所:菊丘南町3-8

【ポイント】

①.仁徳天皇時代、秦氏が氏神として藤田稲荷山に祀ったのが始まり。

②.鎌倉時代の大火で焼失や公団住宅建設で廃れた。

③.昭和40年に一人の篤志者が稲荷社として再建。

【関連写真】

 ビルの横の入口2012_12_13 金只  ビル2階への参道階段2012_12_13 金只  ビル2階の拝殿2012_12_13 金只  

【補足説明】

①.インターネット情報

 枚方宮(ヒラカタグウ)は、京阪・枚方公園駅から香里団地に至る道路が1号線高架橋をくぐった先の右側、ビルのなかに鎮座する神社。

 神社本庁などの組織に属しない独立の宮で、一般に知られることが少ない。神社の方に聞いたところでは、先代が奉斎した宮で、亡くなられたあと管理が大変なのでビルに収めたという。

 ビルの横に『枚方宮』の社名とともに「命名」「地鎮祭」と記された額を掲げた赤い鳥居が建ち、本殿は朱色の階段を上ったビルの2階に祀られている。鳥居が建ち赤い階段がなければ、ビルの避難階段と見間違う。

  祭神--恵宝稲荷大神・恵美須大神・天満宮大神・弁財天大神

 由緒略記によれば、

 「仁徳天皇が、京都にあった渡来人集団・秦氏を枚方に分かち、養蚕紡績の発展を図られたが、その秦氏が氏神を藤田稲荷山に祀ったのが始まり。弘法大師も行脚の途中に藤田稲荷山に参詣され、一夜をこの地で過ごされている。その後、鎌倉時代の大火による焼失や、戦後の公団住宅建設などで昔の面影はなくなったが、昭和40年、菊丘南町に稲荷社を再建し、『枚方宮』と定めた」とある。一人の篤志者による再建である。

 ※ 藤田遺跡の最上部に神社があったと推察される平地が存在される。

 本来は稲荷社だろうが、今は家運隆盛・商売繁昌から学問成就・子供の名付け・先祖供養まで何でも叶えてくれる神と称している。