ここでは、桓武天皇 について紹介します。

出典:広報ひらかた 2015年05月号

 「禁野」と言う地名は、「禁じられた野原」と言う意味です。

 平安時代の枚方や交野には、天皇家の狩場があり、一般の人が狩りをすることができませんでした。禁野はこのことにちなんで名付けられました。

 そんな枚方で狩りを楽しんだ一人が400年続いた平安時代の最初の天皇、桓武天皇でした。背が高くガッチリした体格で、大好きな鷹狩などで16回も訪れた記録が残っています。都を奈良から京都の長岡京に移した翌年(785年)には、遷都をやり遂げたことを天帝(古代中国で神のこと)に感謝する重要な儀式をしたと伝えられています。その場所といわれている一つが片鉾本町の杉ケ本神社あたりです。中国の皇帝にならい、郊祀壇(こうしだん)という円形の丘を築いて祈りを捧げたと伝わっています。                     

 桓武天皇をもてなしたのは、朝鮮半島から日本に来た百済王の子孫の一族で、枚方で暮らしていた百済王氏(くだらのこにしき)でした。桓武天皇は、お母さんが百済王と血のつながりがあったので、百済王氏が親戚のように思っていたと言われてます。親しい人がいて都からも近かった枚方だからこそ新たな国づくりを感謝場所に選んだのかもしれません。