ここでは、標石(合同樋門遺構)について紹介します。
【ポイント】
①.昭和5年(1930)内務省(現国土交通省)において淀川左岸の樋管を統一してここに農業用水路の取水口が設けられた。
②.木屋用水機場が設置されて平成3年にその使命を終了。
③.その後、洪水対策として淀川の浚渫と同時に高規格堤防が構築され、過って取水口の面影はない。
【関連写真】
【補足説明】
①.碑文より
当該樋門は、昭和5年に内務省(現建設省)において淀川左岸樋門管統一工事で築造された農業用水施設で、昭和3年当時、淀川左岸枚方市より下流大阪市毛馬閘門に至る約16粁の区間に現存した上庄、出口、二十箇、茨田、佐太、八雲、五箇及び榎並の8取水樋管を統一して上庄樋管の位置に受益地域約5,000ha(1市2郷19箇町村)の自然取水施設として築造されたものである。その後、約3粁下流に木屋揚水機場が設置され、老朽化した当該施設は不要となったため、平成3年1月から7月の工期で撤去工事が実施され、その使命は終わりを遂げた。
平成3年7月 淀川左岸用排水管理組合