ここでは、橋本碑門 について紹介します。

​在所:京都府八幡市橋本中ノ町

【ポイント】

①.木津川や大谷川(荒坂川)などの堤防決壊や、八幡地域内の内水被害が毎年のように起った。

②.延享4年(1747)、橋本尻江に樋門を築造し、金橋(こがねばし)より楠葉村を通過して淀川に排水する水路が設けられた

③.明治2年(1869)、木津川の付け替えに伴って樋門が橋本に移された。

④.昭和14年(1959)、木製樋門が壊れて淀川から大谷川に逆流し水害が発生したので鋼鉄製に更新。

【関連写真】

 橋本樋門2016_04_16 金只

【補足説明】

 江戸時代から昭和30年代まで、八幡は水害に悩まされてきた。

 木津川や大谷川(荒坂川)などの堤防決壊や、八幡地域内の内水被害が毎年のように起った。

 洪水による収穫の減収でしばしば領主と農民の間に減免をめぐって争いが行われた。

 そのために、延享4年(1747)、橋本尻江に樋門を築造し、金橋(コガネバシ)より楠葉村を通過して淀川に排水する水路が設けられた。そして、明治2年(1869年)、木津川の付け替えに伴って樋門が橋本に移された。

 昭和34年(1959)、台風による増水で大谷川より淀川の水面のほうが高くなり、木製の樋門が水圧で破損されたため濁水が逆流し、橋本の街は4戸が破壊され、215戸が浸水した。