ここでは、橋本陣屋跡 について紹介します。
【ポイント】
①.橋本陣屋は、万延元年(1860)に施工。
②.楠葉台場は、慶應元年(1865)に完成。
③.慶應4年(1868)、淀城下で敗北した幕府軍は、次の宿場町「橋本」に陣屋をかまえた。
④.橋本公民館とその前のバスターミナル周辺を本陣として軍を集結。
【関連写真】
【補足説明】
淀城下での戦いに敗れ大坂に向かう旧幕府軍は、次の宿場である橋本に会津藩・新選組・見廻組などが陣を構えた。佐々木只三郎率いる見廻組が橋本宿の東の路上に胸壁を築き、小浜藩の大砲数門を装備した。
慶応4年1月6日、早朝より銃撃戦が始まり、木津川を船で渡ってきた薩摩藩兵に備えるため、新選組の土方歳三と原田左之助が率いる隊は薩摩藩上陸地点に向かい、永倉新八と斎藤一が率いる隊は八幡山中腹で戦ったが。山崎の高浜砲台を守る藤堂藩の寝返りのため、旧幕府軍は総崩れとなる。川向こうに渡って伏兵しょうとするが、かなわず薩摩藩兵と激戦となる。
旧幕府軍は、弾丸も尽きはじめ、枚方から守口と敗走をして行く。
【参考情報】
インアターネット:橋本陣屋跡