ここでは、牧野車塚古墳 について紹介します。
在所 | 枚方市車塚1丁目1 |
種別 | 国指定文化財 記念物 史跡 |
指定 | 大正11年03月08日、昭和55年02月19日追加指定 |
所有 | 枚方市ほか |
【ポイント】
①.形状:前方後円墳、全長 107.5m、後円墳径 58m、前方部幅 45m。
・外形を含めた古墳中期段階では、北河内でも最大規模。
②.位置:主軸を東西にとり、東方(穂谷川)に向く。
③.築造時期:出土埴輪から4世紀前半と判断される。
④.埋葬者:不明。付近に、赤塚・権現塚・子供塚・ショーガ塚等の名称があり、当墳を盟主墳とする古墳群が形成されていたと思われる。
※ この古墳の最大の特徴は、古墳上に見学路が設けられていること。
【関連写真】
南側道路沿いの桜
【補足説明】
①.現地案内板より
牧野車塚古墳(マキノクルマヅカコフン)(国指定史跡)
穂谷川左岸の交野台地上に立地する前方後円墳です。墳丘は2段築成で、全長107.5m、後円部径58m、前方部幅45mを測ります。主軸線をほぼ東西にとり、前方部を東に向けています。周囲には幅10mほどの空濠をめぐらせ、外堤は西側から南側にかけてのみ残るものの、当初は全周していました。外堤を含めた規模は北河内でも最大級で、整美で原形をよく留めていることから、大正11年(1922)に国の史跡に指定されました。
昭和53年(1978)の後円部側外西側の発掘調査で、幅4~5m、深さ20~30cmの周溝が確認され、円筒埴輪2本が出土しました。平成16年(2004)には前方部と周濠の発掘調査を行い、板石を使った特異な葺石を確認しています。円筒部埴輪の特徴から、4世紀後半に築造されたと考えられるようになりました。
葺石には徳島県や兵庫県など遠方から運ばれてきた石材が用いられていることから、牧野車塚古墳の被葬者は、
築造当初には、二重濠であったことが判明しました。また、濠内から2本の円筒埴輪も検出されました。
主体部の構造や副葬品の内容は不明ですが、墳丘の形状から5世紀前半代の築造と考えられます。
なお、付近には、「赤塚」「権現塚」「子供塚」「ショーガ塚」等の古墳を思わせる地名が知られているほか、牧野車塚古墳の北側で行った小倉東遺跡32次発掘調査で、5世紀代の方墳群などを検出したことから、牧野車塚古墳一帯は7世紀初頭初頭頃まで継続して墳墓が営まれたことが明らかとなっています。
かっては牧野塚を盟主墳とする古墳群が形成されていたと思われます。
平成28年(2016)3月 枚方市教育委員会
昭和54年10月、追加指定するところは、枚方市が公有化した周濠の南側と、昭和53年に発掘調査で確認した墳丘西側の外濠部分であり、これにより、全周のうち約3分の2が指定されることになる。