ここでは、瘡神社(クサガミノヤシロ) について紹介します。

在所:牧野本町一丁目10

【ポイント】

①.片埜神社境外社

②.御祭神:瘡(クサガミ)火酢芹命((ホスセリノミコ)

③.皮ふ病治癒                        

④.菅原道真公の乗馬がこの場所に葬られ、草が瘡に転じた。

【関連写真】

 拝殿2013_05_13 金只​   説明板2013_05_13 金只​   背後の森2013_05_13 金只​   

【補足説明】

①.瘡神社の祭神(現地案内板より)

 菅原道真公の乗馬がこの場所に葬られ薬草が供えられた事から、瘡(草)神様と呼ばれる様になった。

 草は瘡に通じ、ご神徳は皮ふ病治癒。

 自然の森と池をご神体とする神社信仰原始のかたちを今に伝える。         片埜神社社務所

②.火芹命とは、天孫ニニギと山の神・オオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメとの間に生まれた3神のうちの第2子。この時、ニニギから“一夜の交わりで孕むとは、わが子ではなかろう”と疑われたヒメは“天神の子なら、火中にあっても無事に生まれるであろう”と産屋に火をかけて出産したとあり、火が燃えさかるように稲穂がどんどんと成長するさまを象徴した神という。

 この神話にいう燃えさかる火を表す神が、なぜ皮膚病の神とされるのか不明。ただ、古く、最も畏れられたクサといえば疱瘡(ホウソウ、天然痘)で、疱瘡除けには赤い色が多用されたことからみて、燃えさかる赤い炎の中から身を損なわずに生まれ出たホスセリを疱瘡除けの神としたのかもしれない。因みに赤色は、古くから邪悪なものを退ける力があるとされた。

 菅原道真が大宰府へ向う途中、当地で道真の馬が病気で倒れた。回復の見込みがないため道真一行は馬を地元の人に託して出発した。馬は介抱の甲斐なく亡くなり、路傍に埋葬された。その場所は、地元の人が馬に供えた草でいっぱいになったことから、いつしか「草神様」と呼ばれるようになった。この「草」が「瘡(クサ)」と同音であることから、後に瘡(皮膚病)に霊験のある神とされるようになり、社名も「瘡神社」となった。現在の祭神は火酢芹命であるが、これは後に定められたものである。 

 本殿がなく、拝殿の後にある池を拝む形になる。道真の馬が祀られる以前から池が信仰の対象となっていたようである。現在拝殿となっている建物は、以前は「お蘢り堂」として使われていたもので、皮膚病平癒の祈願のためのお蘢りが行われていた。 

③.鳥居の前は、府道17号線