ここでは、郵便屋の渡し碑について紹介します。

​在所:堤町10・・・府道13号線桜町交差点

【ポイント】

 ①.明治10年(1877)、東海道線が大阪~京都駅が繋がる。

 ②.枚方の郵便物は、大塚の渡しを利用して高槻駅まで運んだその記念碑

 ③.昭和年(1930)、枚方大橋の開通で廃止。

 ④.高槻側の渡し

  ・淀川向側河川公園内に道標柱あり。

  ・枚方側は上流安居川河口樋門の付近かと思える。

【関連写真】

    郵便渡し跡の碑(全景)2013_01_06撮影 金只 郵便屋の渡しの碑2012_03_17撮影 金只

【補足説明】

 ①.現地案内板より

  昔、淀川には橋がなく対岸の摂津の国に行く唯一の交通機関は渡し舟でした。

  ここ三矢には枚方地方で最も利用が多く親しまれた枚方の渡し(大塚の渡し)がありました。

  明治10年、対岸に鉄道が開通したことにより淀川左岸一帯の郵便物は逓送夫さんがこの渡しで淀川を渡り国鉄高槻駅まで運んでいました。

  この渡し場は、これより上流約570mのところにありました。

 ②.江戸時代:郵便物は飛脚が運んでいた。

 ③.明治年(1871)3月、切手を貼る新郵便制度発足

   ・毎日1回 東京-大阪間往復

 ④.明治年(1873)2月、大阪~京都間郵便馬車

 ⑤.明治9年(1876)、東海道線開通したが京都駅は未完成

 ⑥.明治10年(1877)、京都駅と梅小路駅間開通

 ⑦.枚方では、正午に大塚の渡しを利用して高槻駅まで

 ⑧.大塚の渡しは碑より約570mほど上流

 ⑨.明治43年(1910)、京阪電車(五条~天満橋間)開通

 ⑩.石碑に刻まれた歌

   郵便屋さん 走しりんか もうかれこれ 12時やで