ここでは、閲武駐蹕記念碑 について紹介します。
在所:交野市私部西
【ポイント】
①.大正3年(1914)特別大演習の際、
大正天皇が大演習をご覧になるため一時馬から下りられた所。
【関連写真】
※ 2015年11月15日 枚方宿30周年記念講演 西川氏講演資料より抜粋
【補足説明】
①.2015年11月15日 枚方宿30周年記念講演 西川氏講演資料より
1615年の大阪の陣で大阪城は落城、戦乱の時代は終結します。家康は、交野市星田の地に布陣して決戦を挑みました。このとき大阪方は法隆寺方面から徳川軍の主力が進軍してくると考え、大和川沿いに主力を進出させました。そこで玉手山や道明寺・八尾方面で決戦となりました。もし星田の家康の陣に大阪方が攻め寄せていたらどうなっていたしょうか。
他方、幕末の鳥羽伏見の戦いでも楠葉砲台まで攻めてきた官軍に徳川軍は反撃できず、将軍慶喜は大阪城から江戸に退却してます。
この二つのケースは政権交代という大きな出来事に大きく影響を与えていました。
従って、富国強兵の国策を推し進めていた新政府は、参加した兵士だけでも4万人、物資の輸送や審判や見学者を含めた総勢10万人以上の巨大な模擬戦争が枚方で行われました。動員兵力だけで秀吉と光秀による天王山決戦とほぼ同数の規模です。
これが「枚方大戦争」と呼ばれた一大軍事演習です。
行われたのは、大正3(1914)年11月15日~17日です。ちょうど第一次世界大戦が始まり、陸軍は山東半島にあるドイツの要塞を占領、国民は戦捷に勢いづいていた時でした。模擬戦争といっても非常に白熱した演習だったそうです。
審判長は即位したばかりの大正天皇でした。展覧された場所(枚方市上之山)がこの地点です。