ここでは、ビオルネ前 について紹介します。

在所:岡本町7 

【ポイント】

①.枚方市駅の高架化工事に伴う駅西地域を都市再開発計画で整備。平成2(1990)年4月に竣工。

②.開発に先立つ発掘調査で、地下2mから文禄提(京街道)跡を検出。

  ・文禄提跡は、埋め戻し茶色タイルでその位置を表示。

③.再開発事業で核となる建物としてビボルネを建設し、周辺の商店街をビル内に収納。

  ・再開発前の岡本町商店街の姿は、街角美術館として

④.ビオルネ前の広場は、岡本町公園として整備され、各種の催事に活用。

  ・公園の床面には、アスカの地上絵を模した

  ・石畳と街路灯は、平成22年度・平成23年度に大阪府歴史・文化的街なみ再生事業で完成。

  ・街路灯7基は平成23年(2011)3月、火の見櫓は、枚方信用金庫寄贈で同時に完成。

  ・京街道沿いには、枚方宿の案内板を設置。

【関連写真】

 文禄堤跡(ビオルネ前通り)  観光案内板2016_03_23 金只  文禄堤跡(埋戻箇所表示)2013_03_13 金只     

 岡本町公園2016_03_23 金只  岡本町公園の説明板(京街道と枚方宿)  

 【補足説明】

①.公園の端に建つ今一つの案内板

 京街道と枚方宿

 枚方市は、淀川に面して古くから交通の要衝であったが、中世末順興寺(願生坊)の寺内町として町づくり始まった。豊臣秀吉は淀川左岸に文禄提を築いたが、その堤が江戸時代になって京街道として整備された。この公園前の街路の飛び石が旧京街道のほぼ中心線である。

 徳川幕府は慶長6年(1601)から全国の主な街道の整備にとりかかり、京街道には伏見・淀・枚方・守口の四宿を設けた。本市域の岡新町・岡・三矢・泥町の四か村が枚方宿に指定された。

 また枚方宿は淀川水運の中継地でもあり、伏見と大阪八軒家を結ぶ三十石船が枚方浜にとまると「餅食らわんか、酒食らわんか」と茶舟が漕ぎ寄せ、飲食物を売りつけた。これが乱暴な呼び声を売り物に淀川交通の名物となった「くらわんか舟」である。

 こうして枚方宿には本陣・旅籠・船宿や、職人・商人の町家が軒を並べ宿場町としてにぎわい、今日の枚方市発展のもととなった。

  注) 順興寺(願生坊)となっているが、実際は別物。順興寺は、信長の焼き打ちにあった後、京都の地に再建され現在にいたる。願生坊は、本願寺が東西に分割された後に、西本願寺派の浄念寺に対抗して蓮如上人縁の順興寺跡近くに東本願寺が建立した寺院である。

②.文禄堤について

・秀吉のは、大阪城を天正11年(1593)、伏見城を文禄3年(1594)に築城。

・文禄堤とは、秀吉が文禄3~7年に渡って毛利三家(毛利、吉川、小早川)に命じて造ったもの。

・文禄堤は、淀川左岸の大阪~伏見間に27kmを築堤し、治水と軍用を兼ねたもの。

・突貫工事であった為、堤防工事に墓石なども徴用。

・ここの文禄提は、平成2年(1990)に京阪電鉄の高架事業に合わせて岡本町の再開発が行われ、その際の埋蔵文化財の調査で現路面下2mに出土したもの。

・文禄堤が埋め戻されましたが、その中心が濃い茶色のタイルの下。