ここでは、三島鴨神社(日本三大三島) について紹介します。
在所:三島江二丁目7-37
【ポイント】
①.仁徳天皇の茨田堤の構築時に淀川の平静を願って川中島に創建。
②.豊臣秀吉の淀川右岸の堤構築時に現在地に移転。
【関連写真】
【補足説明】
①.境内案内板より
創建はは古墳時代で、仁徳天皇が茨田堤を築かれる際、淀川鎮守の神として百済より摂津の「御島」に大山祇神(オオヤマヅミノカミ)をお祀りした事が期限と伝えられる。「御島」とは三島江付近にあった淀川の川中島のことであり、「御島(三島)の社」と崇められ、三島神社の根源社として淀川の平静・農耕の発展・王都難波の安泰が祈り続けられた。三島神は子授けの神としても崇敬され、後白河上皇に仕えた建春門院が祈願後に高倉天皇を懐妊、安産されたため永暦元年(1160)上皇の命によって京都にも三島神社が造営された。慶長3年(1598)豊臣秀吉の命で淀川右岸堤防が築かれる際に現在地に遷された。
②.鳥居修復記録
平成7年1月17日の阪神大震災により大鳥居が崩壊いたしましたが氏子の方々のご誠意により新しく大鳥居の感性を記念し建立したものであります。
平成7年10月 三島鴨神社
③.案内板(注連縄について)・・・珍説
注連縄について
日本で初めて広域的な統一王国を作った出雲鏃はインドから来た「クナト鏃」である。
ワニを川の神、コブラを森の神として祀り恐れた。
この二つの神が合わされて竜神信仰が生まれた。
農耕民族である彼らは、ワラで竜神を作り、木に巻き付けて拝むようになった。
注連縄で巻き付けられた木は、ご神木とされ、伐るのは禁じられた。
当神社の注連縄は氏子さん方(注連縄保存会)の手作りです。
大鳥居の注連縄は両端がまきつけてあり、本義を伝承する大変貴重な注連縄です。
水田に水を流すのは山森であり、当神社を川中島に創建したのは、川と山森に対する竜神信仰と考えられる。
また、自然との共生の意味で、奪い取った米や樹木に対する命の再生を願う行いが、新たな命を吹き込んだ注連縄や御神札との暮らしである。
日本ではワニをサメ、コブラをセグロウミヘビに代えられた
当神社を含め、出雲系神社に六角形の神紋が多い理由は、セグロウミヘビの鱗の形(竜鱗紋)に由来するためである。
神社内に掲示されているが、意味不明のため転載を中止。
【参考情報】
Wikipedia:三島鴨神社