ここでは、三松家墓地 について紹介します。

在所:枚方市禁野本町1丁目 禁野共同墓地最深部

【ポイント】

①.文化財情報・・・インターネット(枚方市文化財情報)

 ・時代中世・近世 

 ・ジャンル史跡(その他)

【関連写真】

 禁野共同墓地登口2014_05_28 金只  禁野共同墓地登口地蔵2014_05_28 金只  

 三松家墓所入口2014_05_28 金只  墓石全景2014_05_28 金只  

【補足説明】

①.インターネット(枚方市文化財情報)より 

 三松家(ミツマツケ)は、奈良~平安時代に政治的地位を得て活躍し、百済寺を建立した渡来系氏族である百済王氏(クダラノコニシキの子孫とされます。

 百済王氏は平安時代前期(9世紀)に女性を中心に、天皇家と外戚(ガイセキ)関係を結ぶなど繁栄を極めますが、藤原氏の勢力が増大するにつれ、次第に歴史の表舞台からは姿を消していきました。9世紀の終わりごろに、邸宅の前の松にちなみ、姓を「三松」に改めたと伝えられています。

【参考情報】

インターネット:百済王三松氏系図に関する論考・史料紹介