ここでは、中宮平和ロード について紹介します。
在所:府道139号線中宮3東交差点北~府道144号線コマツ前交差点
【ポイント】
①.平成3年(1991)軍用鉄道敷を中宮平和ロードとして整備。
②.南から時代の古い順にモニュメントを配置。
③.南北の入口には、平和の願いを込めて、子供の像を配置。
【関連写真】
①.道路に配置されたモニュメント・・・南から
【補足説明】
①.枚方市ホームページより
枚方市には、戦前、火薬製造所など旧陸軍施設が3か所もあり、その一つ禁野火薬庫が昭和14年(1939)3月1日に大爆発を起こし、約700人もの死傷者を出しました。こうした惨事を風化させないよう、昭和57年(1982)に大阪府内で初めて「非核平和都市」を宣言しました。また、爆発から50年後、そして、昭和29年(1954)年3月1日に第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカ軍が行った水爆実験に遭遇し、被爆した日から35年後の平成元年(1989)に、3月1日を「枚方市平和の日」と定め、毎年さまざまな記念行事を行っています。
そのほかにも、毎年夏には子どもたちを対象に、平和に関する映画会などを開催しており、また、市内の多くの小学校では修学旅行で広島を訪れ、平和学習をしています。
今後も、戦争の悲惨さと平和の尊さを若い世代に伝えるため、平和に向けての啓発活動に取り組んでいきます。
平成3年(1991)には、禁野火薬庫や枚方製造所から砲弾などを運んだ軍用鉄道敷を「中宮平和ロード」として整備しました。また、中宮団地内には火薬庫の延焼を防ぐための土塁が今も残っています。
②.道路上のモニュメントは、歴史の流れに従って南から配置されています。
【参考情報】
1945~1946年の米軍地図(軍用鉄道の路線が記載されています)