ここでは、中島九右衛門家跡地 について紹介します。
在所:新町一丁目6
【ポイント】
①.中島家は、岡新町庄屋・枚方宿問屋場役人と紀州候付家老専用本陣を兼ねた。
②.250坪の広大な敷地に主屋・隠居所・酒蔵2棟・土蔵4棟・門
・安政4年(1857)、失火により焼失。
・明治8年主屋を再建。
・平成3年に取り壊し。
【関連写真】
【補足説明】
①.中島三佳氏資料より
・中島家は、尾州中島城主本居山城守(中島式部少輔氏重)の後裔。
・豊臣秀吉の家臣となり各地を転戦。
・大阪落城後の寛文10年(1670)岡新町で帰農する。
屋号は「柴屋」と呼んだ。
・元禄期より酒造業(酒銘「星乃井」)を始めた。
・同時に土地の集積を進め、天保5年(1834)には
田畑 63町、小作米 864石、小作人 313人
・寛保2年(1742)の「淀川筋水難御救願」には、摂津・山城・河内三ケ国192村の河内国総代
・その後、岡新町村庄屋・枚方宿問屋場役人と紀州候付家老専用本陣を兼ねた。