ここでは、久修園院 について紹介します。

在所:楠葉中之芝二丁目46

【ポイント】

①.寺院は、真言律宗天王山木津寺別格本山久修園院・・・本山は西大寺(奈良)

②.行基の布施所跡に創建(725年)

③.大坂夏の陣で全焼 ⇒ 江戸時代、宗覚律師が再興(1679年)

④.枚方市有形文化財

 ・天球儀宗覚律師の作(1702年頃)、青銅製

 ・地球儀:宗覚律師の作(1702年頃)、和紙製

⑤.拝観は事前予約要。

 電話   :072-857-3969

 参拝料金 :300円 

【関連写真】

①.外観

 左から本堂、愛染堂、光明殿2016_04_16 金只​   本堂2013_01_28 金只​   

 愛染堂2013_01_28 金只20​   光明殿2016_04_16 金只​   

②.本堂内部

 本堂内部(寺パンフレットより)​   釈迦如来立像(寺パンフレットより)​   

③.愛染堂内 

 愛染明王2013_01_28 金只​   愛染明王2013_01_28 金只​   

④.境内

 鳥羽伏見戦争慰霊塔     烏枢沙摩明王                                         霊亀社2013_01_28 金只

 【補足説明】

①.現地案内板より

 宗派は、真言律宗、本山は奈良西大寺、その別格本山です。本尊は釈迦如来。縁起によれば霊亀(レイキ)2年(716)僧行基による開基で、神亀(ジンキ)2年(725)に落慶したとされています。

 七堂伽藍(シチドウガラン)と多くの塔頭(タッチュウ)を持つ広大な寺院でしたが、大阪夏の陣(元和(ゲンワ)元年(1615))の兵火で大半を失いました。

 のち、江戸時代(延宝(エンポウ)年間)に、宗覚律師(ソウカクリッシ)(1639年~1720年)が再建しました。宗覚は久修園院の中興の祖といわれ、宗教活動はもとより、多芸多才で、宗教学・地理学・医学・天文学・絵画・工芸・音楽・武術などを極め、後世に残した業績ははかりしれません。

 寺所蔵の天球儀(渾天儀(コンテンギ))と地球儀は、ともに宗覚の製作は(元禄15年(1702)頃)で枚方市指定文化財です。

2004年10月 枚方市教育委員会  

②.寺院のパンフレットより

 真言律宗の寺

 本尊は、釈迦如来。宗派は真言律宗で本山は奈良・西大寺。ここは、その別格本山である。

 真言律宗は鎌倉時代に、仏教における戒律の重要性を唱えた西大寺叡尊によって開かれた。

 叡尊は弘安4年(1278)、石清水八幡宮大乗院に住し、日本来襲の蒙古軍退散を祈り、蒙古軍は”神風”で消滅した。大乗院は明治維新の神仏分離令まで八幡宮管理の護国寺主院で西大寺末だった。

 中興・宗覚律師は「久修園院」を「久遠成道」の仏説に基づく号と定義付け、久修園院縁起、久修園院集、同続集を著した。儒教も修め、諸仏像、大涅槃図(正徳2年作)、両界曼荼羅図(元禄4年作)、天球儀、地球儀、琴、簫、篳篥も制作自演した多能の人だった。京都東寺の国の重要文化財に指定されている『元禄本両界曼荼羅図』も彼の作品です。

 本尊 釈迦如来立像

 久修園院は俗に釈迦堂とも言われ、本尊は釈迦如来。

 左手に金鉢、右手に錫杖を持ち、たく鉢修行中の尊いお姿。寺伝によると、作者は長谷寺本尊観音菩薩の化身と崇められた跡宮王丸。高さは5尺(約165cm)、材は赤梅檀の木。

 奈良時代の官僚山陰中納言は重病で気絶した。所が、彼はこの釈迦如来を深く信じていたため奇跡的に助かり、父藤原高房(東大寺戒壇院造立の勅使)と共に、この寺を隆昌に向かわせた。また、元和元年(1614)、本院は大阪夏の陣で炎上した。そのとき、里人柏木道悦が猛火の中から本尊をお救いした。まことに運の良い、しかも霊験あらたかなお釈迦さまである。

②.寺院のパンフレットより

 行基菩薩は、多くの弟子たちと共に各地行脚の修行をしながらこの近くの山崎川のほとりにさしかかりました。その際、以前ここにあった橋が今は無く、人々が不便な思いをしていると知り、ここに山崎橋を架けられました。久修園院は行基が山崎橋を架ける時に起工され、神亀2年(725)に落慶したとされ、行基49院のひとつ。

 通称「釈迦堂」、または「木津(コツ)寺」と呼ばれる。

 創建当時の境内は七堂伽藍が建ち並んだ大寺で、聖武天皇の勅願所だったが大阪夏の陣の元和元年(1615)に豊臣方の敗走兵が逃げ込み放火自殺したため堂塔をことごとく焼失。その後、延宝8年(1680)、中興の祖・宗覚律師(1639年~1720年)により再建された。

 慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際、旧幕府軍が当院を橋本本営として本陣を構えた。

※ 久修園院御詠歌:・・・久修園院の名称の由来

   (のり)の道 しく(しゅ)せ  み仏の(くに)に入るぞと 聞くも嬉しき

③.釈迦如来立像(本堂)

  俗に釈迦堂と呼ばれる。本尊の釈迦如来像は左手に金鉢、右手に錫丈を持ち、たく鉢修行中の尊いお姿。

  作者は長谷寺本尊観音菩薩の化身と崇められた跡宮王丸。高さ5尺(約165cm)、材は赤梅檀の木。

④.愛染明王坐像(愛染堂)

  高さ約2mと日本最大級のサイズを誇り、宗覚律師の御作。

   律師が母の心の深さに思いを致し、母の死後8年目に彫り上げたという。

⑥.烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ)(境内)

  仏の世界と現世の間にいて、現世の汚れを焼き尽くす明王。

  不浄で亡霊が集まる場所としてトイレに昔から祀られて、近年には「トイレの神様」という歌謡曲で大ブレークした。

⑦.霊亀社(境内)

  藤原高房が助けた亀に、淀川でおぼれた高房の供のが助けられた言伝えが残されている。

  霊亀(レイキ)は、古代中国神話等に登場する怪物の一種とされ、五霊の一つにあげられている。

⑧.鳥羽・伏見戦争墓標(境内)

⑨.結界石(山門前)

  当院は修行寺であるため、現世と仏の世界を明示するためにこれを設けている。

【参考情報】

Wikipedia:行基

Wikipedia:烏枢沙摩明王

Wikipedia:五霊

Wikipedia:愛染明王

Wikipedia:西国愛染17霊場