ここでは、二宮忠八飛行器工作所跡 について紹介します。

在所:八幡市橋本奥ノ町16-2

【ポイント】

①.明治33年(1900)~明治36年(1903)の間この地に「二宮忠八飛行器製作所」があった。

②.着想と開発の経緯

 ・明治22年(1889)陸軍従軍中、カラスの翼さばきから飛行原理を発見。

 ・明治24年(1891)鳥型飛行器の飛行実験に成功

           軍内部での開発上申も却下される。

 ・明治26年(1893)玉虫型飛行器の模型完成

 ・明治33年(1900)当地の精米所にあった石油発動機を動力とした飛行実験を計画。

 ・明治36年(1903)ライト兄弟による有人飛行成功の報で開発断念。

 ・明治44年(1954)忠八の「玉虫型飛行器」の模型は、英国王立航空協会は自国展示場に展示。・・・ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した人物と紹介。

【関連写真】

 古民家全景2019_04_01 金只   古民家前案内板2019_04_01 金只   

 現地案内板2019_04_01 金只   

【補足説明】

①.現地説明板より

 この地に、「飛行原理」を世界のだれよりも早く発見した二宮忠八が「玉虫型飛行機」の製作を本格的に取りかかった二宮工作所がありました。

 忠八は、慶弔2年(1886)、愛媛県八幡浜に生まれ、少年時代には、自身考案の忠八凧がよく揚がり評判でした。

 明治22年(1889)烏の翼さばきを見て「飛行原理」を発見

 明治24年(1891)「烏型飛行器」の飛行実験に成功

 明治26年(1893)「玉虫型飛行器」の模型完成

 明治33年(1900)瀬級発動機があった精米所の当地を買取り、飛行器製作を開始

          この付近の木津川には広い砂原があり、飛行器の完成時に試験飛行を予定していました。

 明治36年(1903)アメリカのライト兄弟による友人飛行実験の成功を知り、製作を断念。

 その後、飛行機は急速な進歩を遂げましたが、忠八は飛行機の草創期に不慮の死を遂げた多くの人々に心を痛め、八幡土井の邸内に飛行神社を創建し、航空界の安全と航空殉職者の慰霊に奉仕しました。

【参考情報】

Wikipedia:二宮忠八

Localwik  :飛行神社