ここでは、交野天神社 について紹介します。

在所:楠葉丘二丁目19-1 

【ポイント】

①.祭神;第49代光仁天皇

  配祀;天児屋根命、菅原道真公

 ・延暦6年(787)、桓武天皇が長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇(コウシダンを設けたことから皇室との関りが深い。

 ・明治5年(1872)菅原道真を合祀している。(元宮は町楠葉2丁目)。

②.国の重要文化財・・・本殿二棟(交野天神社・八幡神社)

 交野神社本殿

 ・.末社八幡神社本殿

③.参道の見どころ

 ・枚方八景の標識・・・・・・・・・・・樟葉の杜の選択経緯を表示

 ・指定文化財一覧表の標識・・・指定文化財の一覧表

 ・郊祀壇(コウシダン)跡の石碑・・・光仁天皇をお祀りした記念碑

 ・袋石(フクロイシ)  ・・・・・・・・・・・・七福神と併せて富と繁栄を願ったものか

 ・弁当石・・・・・・・・・・・・・・・・・・松嶋屋(片岡)我當の寄進による手洗い時の荷物台

 ・三つの形式の鳥居・・・・・・・・一の鳥居;明神式、二の鳥居;神明式、三の鳥居;瓦屋根付の鳥居

 ・拝殿前の枝垂桜・・・・・・・・・・一本だけだけだが白い枝垂桜

 ・寺形式の拝殿・・・・・・・・・・・・片岡仁左衛門の寄贈と云われる。

【関連写真】

①.神社入口

  交野神社正面入口2013_04_28 金只  境内指定文化財案内板2012_10_29 金只

  桓武天皇先帝追尊之碑2012_06_06 金只

 2).3種類の鳥居

  一の鳥居(神明形式)2012_06_06 金只k  二の鳥居(明神形式)2012_06_06 金只  三の鳥居(屋根瓦葺き)2012_06_06 金只

 3).三の鳥居の左側のしだれ桜

  交野天神のしだれ桜2017_04_05 金只

 4).神仏併設の名残り;七福神と併せて富と繁栄を願った袋石

  袋石2012_06_06 金只  袋石横の標柱2012_06_06 金只

 5).片岡仁左衛門寄贈の拝殿

  片岡仁左衛門寄贈の寺院形式の拝殿全景
2013_02_15 金只

  拝殿の猿股2013_02_15 金只  松嶋屋寄進の弁当石2014_09_20 金只

【補足説明】

①.交野天神社現地案内板より

 桓武天皇は、延暦6年(787)、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇を設けて、父光仁天皇を天神(アマツカミ)として祀つりました。これは、中国の皇帝が毎年冬至に、

都の南に天壇を設けて、天帝を祀る例にならったもので、当社の起源はこの郊祀壇にあるといわれます。

 交野神社本殿は、一間社流造(イッケンシャナガレヅクリ)、桧皮葺(ヒカワブキ)で、鎌倉時代の嘉禎(カテイ)4年(1238)、室町時代の応永8年(1401)に修理されました。

 全体の概観は、雄大な手法で鎌倉時代の様式を残し、蛙股(カエルマタ)等の彫刻は、繊細で美しいものが多く、室町時代書記の特色を備えています。末社八幡神社本殿は、造営年代は天神社と同じですが、小規模で簡素な造りになっています。構造や形状は天神社に等しく、向拝の蛙股や欄間の透彫(スカシボリ)にみるべきものがあります。ともに昭和25年(1950)、国の重要文化財に指定されました。                     枚方市教育委員会

②.神社発行由緒書より

 交野天神社カタノ アマツ カミノ ヤシロ

 当神社は、人皇第50代桓武天皇が延暦6年(787)11月5日神社を建立御父君光仁天皇をお祀りされたところである。

 桓武天皇(782-806)洪業を御継承になり、都を平安(京都)に定め給ひ、先帝を尊崇し給うこと殊に厚く、大納言藤原朝臣継縄をして天神を祀らしめ給ひし時、先帝(第49代光仁天皇(770-782))の御神霊を配亨し、交野天津神と称せられ、爾後楠葉の氏神として仰ぎ奉る。

 御社殿は2棟あり、東の1棟は若宮と申し八幡神社で誉田和気命(応神天皇)がお祀りしてあろ。共に明治21年内務省より古社保存の資金を御下賜になり、更に大正6年文部省告示を以って特別保護建造物、又後に国宝建造物とされたるも、現在保護規定名称改正により重要文化財の指定をうく。

 以上の如く皇室に最も関係深い創始にして、朝廷より奉幣の儀度々あり、中にも嘉禎4年(1238)2月際、正4位下清包近、応永8年(1401)11月の際築には紀朝臣光実、嘉吉2年(1442)10月鎧葦を檜皮葺に改める時も紀朝臣光卿等の参向があった。

 その後、昭和19年には大破損の為、解体修理を行う予定の処、大東亜戦争が益々苛烈により一時中止し、終戦後改めて大修理を施す。彫刻物は全て鎌倉時代の物を其侭使用、社殿2棟は一間社流造で細小建造物であるが、その構造及装飾に於いては他に類例を見ない特異なもので、我国建築美術上最も価値あるものと認められる。又この形式としては、我国最古の建造物である。

 樟葉宮跡と貴船神社

 当神社の後方北東境内地にある。

 人皇第26代継体天皇が越前高向より還御、御即位の大典を挙げ給ひし所で(507年)在位僅か5年にして都を山背筒城(ヤマシロノクニツツキ:京田辺市付近)に遷される。

 その宮跡を永遠に記念せんが為に元の氏神(交野天神社創始以前からの氏神)高竉大神(タカオカミノオホカミ)をこの地に移し継体天皇を合せ祀り奉る。

 昭和4年3月大阪府より標石を建てられ、昭和18年大阪府史蹟に指定。更に昭和34年9月大阪府教育委員会に於いて史蹟に指定、標石を建てられる。

鏡池

 神社の南方にある池で、太古樟葉宮の庭園内の大池で1500年の昔を物語っている。

     くもらじの 真澄の鏡 かけそふる

        樟葉の宮の 秋の夜の月

【参考情報】

Wikipedia:交野天神社