ここでは、今中楓渓 について紹介します。

出典:広報ひらかた 2015年10月号

 今中楓渓(ふうけい)は、「野崎詣(まい)りは~屋形船でまいろ~♪」で始まる「野崎小唄」の作詞家として有名です。この歌は大東市にある野崎観音のことを

詠んだ歌で、昭和10年に歌手東海林太郎が歌って全国的に大ヒットしました。作詞を手掛けたのが楓渓さんですが、歌謡曲の作詞は「やりたいことじゃない」

と言って喜んでいなかったみたいで、歌人として短歌に情熱を注いでおられたようです。

 明治16年に現在の東大阪市に生まれた楓渓さんは、小さい頃から短歌が好きで文芸雑誌によく投稿されてたようです、31歳で歌人の前田夕暮(ゆうぐれ)に入

門して腕を磨き、「あかね」「白日(はくじつ)」など多くの歌集を出版しています。

 昭和6年には、秩父宮殿下が高槻工兵隊に入隊のために枚方に滞在されたとき、秩父宮妃を招いて大阪府内の女学生の短歌会を開かれました。

 楓渓さんが枚方に来られたのは、24歳の時に樟葉村の今中家の婿養子になられたときです。楓渓さんの長男の奥様今中千代子(95歳)によると「義父は無邪気で純粋で酒好き。いつも行く京都の店には紙と筆を置いて、ほろ酔いになると筆を走らせてね。歌への情熱は人一倍でした」と話してくださいました。

 昭和38年に80歳で亡くなられたけど、市内では、樟葉小学校・第一中学校など7校の校歌の作詞もおこなっています。今でも子供たちが歌っています。