ここでは、伊加賀地域の由来 ついて紹介します。

在所:伊加賀○○地域

【ポイント】

①.背後の枚方丘陵は物部一族の淀川支配の拠点。

②.この丘陵の下に広がった田畑一帯を伊加賀集落と呼んだ。

③.時代を経て、淀川の堆積によって田畑は広がり室町時代に至っては、秀吉の文禄提の築造によって略現在の淀川の位置までとなった。

④.江戸時代に入って、文禄提は東海道に編入され、枚方浜に枚方宿が設けられた・

⑤.枚方宿の西見附に連なる交通の要所にできた集落である。

  ・枚方宿での使用人の住居。

  ・宿場入口の旅籠。

  ・意賀美神社の氏子を中心とした集落(殆どが百姓)

⑥.伊加賀の地名は、この由緒ある地名を踏襲したものと伝わる。

【補足説明】

①.伊加賀の地名由来(元観光ボランティアガイド南場氏の資料より抜粋)

 物部氏の祖先は、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)であり、天孫降臨より先に天照大神の命により天の磐船に乗って天野川の上流にある磐船神社あたりに天下ったとも云われる。

 そのとき随行した物部氏の後裔6代目になる伊香色雄(イカガシコオ)の姉の伊香賀色許売(イカガシコメ)は、第9代開化天皇の妃(キサキ)であり崇神天皇を産んでいる。

 伊香色雄が、淀川一帯を支配し、邸内に水神を祀ったのがことの始まりと言われている。

 その社がこの宮山に移された時期は不明であるが、延喜式神名長(927)に載っている。

 神仏分離令により萬年寺が廃寺され、物部一族の古墳があったとの言い伝えの万年寺山に、明治42年に日吉神社・須賀神社と合祀された。

 この地域の地名「伊加賀」は、この伊香賀色許売からきたものと伝わる。

 従って、万年寺山古墳は、同古墳に銅鏡が副葬されていることから当時の朝廷に関わりがあり、地理的要因も考え4世紀頃の実力者である物部氏伊香色雄又は伊香賀色許売ではないかととも伝わる。