ここでは、元禄13年開通京街道 について紹介します。

在所:出口六丁目の地蔵辻から西見付の間(現淀川左岸堤防下)

【ポイント】

①.元禄13年(1700)には出口村の淀川の洪水防止のための廻し堤防が接続(柿本家の絵図による)

②.正徳5年(1715)には、旧堤防(いわゆる文禄提)は撤去。

【関連写真】

 松ケ鼻からつながる新提跡2015_03_17 金只   

【補足説明】

①.枚方宿考える会会長 堀家啓男氏の資料より

 天和3年の枚方宿の絵図では、京街道は出口村の集落内を通過していた。

 元禄13年(1700)の柿本家の絵図では、出口村の淀川川の洪水防止のための廻し堤防がつながっています。

 天和3年には、出口村・三矢村の堤外地での新田開発が計画されましたが、淀川対岸の摂津唐崎村など14カ村から中止の要望がだされたが、洪水防止の名のもとに開発は進められました。

 宝永5年(1708)には、新堤と旧堤を結んでいた横堤防が不要となり撤去された。

 正徳5年(1715)には、旧堤防(いわゆる文禄提)も不要となり撤去されました。

 享保2年(1717)の柿本家の絵図では、すでに街道筋が新堤に移ったように画がかれてます。