ここでは、光善寺(出口御坊跡) について紹介します。

在所 枚方市出口二丁目8-13
種別 市指定文化財 記念物 史跡
指定 平成22年04月01日
所有 光善寺

【ポイント】

①.宗派:真宗大谷派 山号:淵埋山

②.開基:文明7年(1475)、本願寺8世(室町時代)蓮如上人 61歳のとき。

③.僧房:有力門徒の尽力で建立。

④.淵埋山の由来:一町四方の池(わんど)を埋め立て諸堂を建立。

  ※ 戦国時代末期、この場所は河川敷の中であったため誰の領地でもなく、越前から退避した蓮如上人にとっては格好の場所であった。

⑤.庭園:さいかちの木は大阪府天然記念物。

⑥.裏庭:石川丈山による。

⑦.石棺:淀川の淵(ワンド)を埋め立ての土は走谷の加茂神社裏から採取。この石棺は土砂採取時に出土したもの。

⑧.歴史的建物・・・信長・秀吉時代に衰退し、慶長年間に旧地に復す。寺域全体が市指定文化財。

 ・本堂    ;嘉永7年(1637)の建築

 ・山門・脇門 ;江戸後期

 ・数奇屋風書院;江戸中期

 ・御堂    ;天明2年(1782)

 ・太鼓楼   ;天明7年(1787)

⑧.さいかちの木・石川丈山による裏庭見学希望の場合は、予約要

 電話 :072-831-1137

 拝観料:無料

 【関連写真】

   山門2012_06_30 金只 ~本堂2014_05_13 金只

   太鼓櫓2012_04_12 金只 ~鐘楼2012_07_19 金只

   ~石棺2012_07_19 金只 ~日本庭園と日本書院2012_07_19 金只

   案内板2012_07_19 金只 蓮如上人抜歯懐紙碑2012_07_19 金只

【補足説明】

①.現地案内板より

 出口は、文明7年(1475)本願寺第八世蓮如上人が建立した御坊を中心に発達した寺内町である。寺内町は、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことをいう。蓮如上人は御坊(のちの光善寺)を拠点に摂津・河内・和泉で布教活動を行い、3年後、山城に創建した山科本願寺に移った。

 蓮如上人の死後、光善寺は戦国乱世の中で退転を余儀なくされ、旧地に復したのは慶長年間(1596-1615)であった。広大な寺域と御堂・山門・通用門・鐘楼・太鼓櫓・書院・庭園などの江戸時代の伽藍を残し、寺内町の核としての風格を今に伝えている。その景観は、「河内名所図会」(享和元年刊)にみえるものとよく一致し、江戸後期にさかのぼるものである。伽藍の近世建築には、17世紀の山門および脇門、江戸中期の数奇屋風書院があり、天明2年(1782)の御堂、同7年の太鼓櫓等がある。                                        2010年4月   枚方市教育委員会

②.光善寺は、戦国時代の真っ只中に、誰の支配も受けない淀川の淵を埋め立てゝ作られました。埋め立てに用いた土砂は走谷堂山古墳から運んだといわれています。その時出土した石棺も同時に運ばれて当寺に保管されています。掘削場所は、地形から見て加茂神社の本殿裏側から東福寺辺りかと思われます。

【参考情報】

Wikipedia:蓮如上人

Wikipedia:石川丈山