ここでは、八角堂跡 について紹介します。
在所:京都府八幡市・・・
【ポイント】
①.順徳天皇(1210~1221)の御願により建てられた隅切り八角堂の仏堂の跡。
②.荒れ果てた八角堂は、豊臣秀頼が慶長12年(1607)に再建。
③.元禄年間(1688~1707)に大規模修復。
④.明治3年(1870)に西車塚古墳に移築。
⑤.令和元年(2019)3月末に保存修理工事完了。
【関連写真】
案内板より
【補足説明】
①.現地案内板より
鎌倉時代の初め、順徳天皇の御願により建てられた隅切り八角堂の仏堂の跡で、道内には像高訳3mの金色に輝く阿弥陀如来坐像が納められました。その後、慶長12年(1607)豊臣秀頼により再建されました。
明治になり、神仏分離令のために撤去されることとなり、正法寺の住職・志水円阿が、明治3年(1870)に所有地であった、西車塚の後円部上に移築しました。西車塚古墳は、墳長120mの木津川左岸最大級の前方後円墳で、山麓の東高野街道を約1.5m南に位置する、松花堂庭園の北西にあります。
八角堂は廃仏毀釈をまぬがれた市内唯一現存する仏堂です。古墳の上に建つその姿は、八幡に生きた人々が、当時の文化を守ろうとした気持ちを今に伝えています。
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代の作で仏師・快慶の作風といわれ重要文化財に指定されている。
現在は正法寺境内の法雲殿に安置されている。
西門
北の八角堂、南の大塔がそびえたち大坂方面からの参拝者を出迎え西門から参拝したと伝わる。
八角堂
慶長12年(1607)豊臣秀頼が再建。元禄年間(1688~1707)に大規模修復。明治3年(1870)に西車塚古墳に移築。令和元年(2019)に大規模修復。
写真は修復前の西車塚古墳上の写真。
【参考情報】